文・藤田正
グラミーはアメリカの音楽業界にとって最大のお祭りです。
2月のグラミー賞が終われば、ほぼ1カ月置いて、映画の祭典、アカデミー賞(の授賞式)が催されますから、この春に向かう季節はアメリカのショウ・ビジネスが最も華やぐ時、と言っていいかもしれません。なにしろ、受賞発表日のずっと前から数々のノミネートが発表され、式典には誰が登場するだの、特別の共演を見ることができるなどと、連日のようにニュースが流されるので、いやがおうにも授賞式に向けて盛り上がるわけです。
ちなみに第48回目の主要3部門は以下のとおりです(日本時間2006年2月9日発表)。
*レコード・オブ・ジ・イヤー:グリーン・デイGreen Day/ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームスBoulevard of Broken Dreams
*アルバム・オブ・ジ・イヤー:U2/ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボムHow to Dismantle an Atomic Bomb
*ベスト・ニュー・アーティスト:ジョン・レジェンドJohn Legend
今や世界で筆頭の位置にあるロック・バンドと定評のある
U2が、上記ほか「サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン」で最優秀楽曲賞を獲得するなど、計5部門の受賞です。
ここしばらく、ちょっと人気に陰りが…と言われていた
マライア・キャリーは、心機一転を狙ったアルバム『MIMI』(写真/ベスト・コンテンポラリーR&Bアルバム賞)や、シングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」の大ヒットでカムバック(?)。グラミーでは最多の8部門でノミネートという、今回最大の話題となりましたが、さすがに総ナメとは行かず、彼女のお得意のジャンル最優秀R&B楽曲賞(「ウィ・ビロング・トゥゲザー」)ほかR&Bの3部門を獲得しました。
また日本人として2度目の受賞はあるか? と言われていたシンセサイザー奏者、喜多郎は(『空海の旅2』で、ニュー・エージ・アルバム賞にノミネート)、受賞を逃しています。
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1)改めて「グラミー」って何?
「グラミー」は、ポピュラーやクラシック音楽の作品やアーティストなどに与えられる、世界で一番に有名で大規模な賞です。
「最も権威ある賞」とする人もいますが、それはアメリカの音楽ビジネスを世界の音楽業界の中心であると考えるのなら、という前置きが必要しょう。
グラミー賞が特徴的なのは、アルバムを何枚売ったかとか、当人がどれほど有名かということよりも前に、形式的であれ作品の内容、アーティストが音楽業界の発展にいかに寄与したかという点を重視し、その功績を称える点にあります。歌手、プレイヤーだけではなく、各分野のプロデューサー、エンジニア、デザイナーなどのために実に細かく賞が部門分けされているのも、音楽ビジネスにおける成功と評価は舞台に立つ一個の才能だけでは決してなし得ないものであることを、よく物語っています。
受賞の決定は、現在は1万数千人もいるといわれる音楽関係者からなるアカデミー会員の投票によってなされます。
グラミー賞が始まったのは1958年です。5つの大手レコード会社の首脳たちによって、先行する映画のアカデミー賞のようなものをこの音楽業界でも作ろうと話がまとまり、「ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス」(National Academy of Recording Arts & Science=全米レコーディング芸術・科学アカデミー)が創設されました。
グラミー賞とは、正式にはこのアカデミーが付与する「NARASアチーブメント・アワーズ」のことを言います。
ではなぜこの賞を「グラミー」と言うのでしょうか?
グラミーとは、そのトレードマーク(ロゴ)でもわかるように、受賞者に与えられるトロフィー(蓄音機のレプリカ)の愛称なのです。
ラッパの形をした、あの昔懐かしい蓄音機。蓄音機のことを、英語でグラモフォンと言いが、それをいとおしく「蓄音機ちゃん」と呼び替えてグラミーと呼んだ、というわけです。
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2)クリントン前大統領は2度の受賞経験者だった!
グラミー賞は、最優秀レコードや、最優秀アルバム、といった有名な賞だけではありません。コメディ部門、子ども向け、歴史と、華やかなヒット・チャートとはあまり縁の無い分野にまで目が向けられています。
ちなみに一般部門(ジェネラル・フィールド)の中の、最も関心の高い「フィールド1:ポップ」だけでも11のカテゴリー(賞)があります。
順番として最後にリストアップされている「フィールド31:ミュージック・ビデオ」まで、計108の賞を数えることができます。
そしてその中に、
ビル・クリントン前アメリカ大統領の名前も、過去の受賞者として見つけることができるのです。しかも彼は2年連続、受賞している!
第47回、すなわち2005年に発表されたグラミーでは、「朗読アルバム Best Spoken Word Album 」の部門でグラミーを受賞。その対象となった作品が、なんと彼の自伝『マイ・ライフ』。あの色んな意味で話題の多かったベストセラーの、オーディオブック版です。
2003年の作品(第46回)も面白くて、彼は、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領、女優のソフィア・ローレンと一緒に作った朗読アルバムで「子どものための朗読アルバム Best Spoken Word Album For Children」という賞を獲得しています。作品は『プロコイエフ:ピータとオオカミ』。
こういう作品もグラミー賞の対象の一つなのです。
オマケですが、上記第46回目の、「朗読アルバム」のノミネートには、彼の奥さんの作品が入っていました。これも色々と話題となった彼女の著作『Living History/ Hillary Rodham Clinton』のオーディオブック版です。
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3)日本人で最初の受賞者は誰か
日本人がグラミー賞を獲得する。その最初となったのは、女性でした。
音楽家ではありません。石岡瑛子。グラフィック・デザイン、アート・ディレクション、コスチューム・デザインほかの多方面の活動で、国際的に知られる存在です。
彼女が、ジャズの帝王、
マイルス・デイビスのアルバム『TUTU』(ツツ)のアート・ディレクションを手がけ、その成果が認められたのが最初です(1986 - 29th Annual GRAMMY Awards:ベスト・アルバム・パッケージ賞) 。
暗闇に浮かび上がるマイルスの顔、エロチシズムただようその指先など、これぞ石岡瑛子のアート感覚というに充分の作品でした。
(「TUTU」とは、ノーベル平和賞を受賞した(1984年)、南アのデズモンド・ツツ司教のこと)。
それに続いたのが、
坂本龍一。もちろん映画『ラスト・エンペラー』のサントラで受賞しました(正式には、作曲部門の「Best Album Of Original Instrumental Background Score Written For A Motion Picture Or Television」を受賞/デビッド・バーンらと共に)。
坂本の次が、シンセサイザー奏者の喜多郎です。彼はこれまで何度もノミネートされていますが、2000年、ついにグラミーをゲットしました(43rd Annual GRAMMY Awards) 。受賞の対象となったのは、『シンキング・オブ・ユー』。ベスト・ニュー・エイジ・アルバム賞です。
この3人には共通点があります。それぞれが日本を飛び出し、アメリカで暮らし、欧米のマーケットと強い繋がりを作っていることです。
やはり、いくら才能があったとしても、日本にいるだけではグラミー賞を獲るということは難しい。あくまでグラミーはアメリカン・マーケット(これを時に日本では世界的、と呼ぶ)を中心とした大賞だからと言えるでしょう
なお、ノミネート作品としてはジャズのゲイリー・バートン(バイブ奏者)&小曽根真(ピアニスト)による『ヴァーチュオーシ』(2002年発売)などがあります。このアルバムは、第45回目のThe Best Classical Crossover Albumn部門にノミネートされています。
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4)ラテン系が牛耳った初期のグラミー
記念すべきグラミー賞の第1回目は、1958年のことです。
58年と言えば、アメリカのポップスやロックにちょっと詳しい人であれば、
エルビス・プレスリーが大人しく兵役につき、反逆児らの音楽と大人から嫌われていたロックンロールが大きな変節を迎えた年、と思い出すことでしょう。
日本では、第1回の日劇ウェスタン・カーニバルが開かれ、熱狂的なロカビリー・ブームに火がついた年でした。
しかし、こういう新しい流れは、日本でもアメリカにおいても、いわゆる「賞取りレース」には往々にしてリアルタイムで反映されるものではありません。
グラミー賞がスタートした58年や、その後の受賞の主だった作品、アーティストを見ていると、ロックンロールの台頭というのは、まだまだメインストリーム(つまり大人たちの世界)からは認められていなかったことが分かります。
なにしろ58年の最優秀レコードが、イタリア人シンガー、ドメニコ・モドゥーニョの「ボラーレ」です(この歌はベスト・ソング賞も受賞)。イタリア歌謡、つまりカンツォーネは、アメリカでも日本でも当時、とても愛好されたものでしたが、その筆頭がモドゥーニョでした。
第1回目のグラミー賞は、3部門だけの今からすれば規模の小さいものでしたが、モドゥーニョが獲得した2部門以外のもう1部門、すなわちベスト・アルバム賞を受賞したのが誰だったかといえば、映画音楽界の大物ヘンリー・マンシーニ(アルバム『ピーター・ガン』)でした。彼は、イタリア系アメリカ人です。
当時、いかにイタリア系のミュージシャンに人気があったかは、翌59年のボビー・ダーリンとフランク・シナトラ、61年のマンシーニ、62年のトニー・ベネットなどと、彼らがアメリカの芸能界の中央で大活躍していたことが想像できるのです(また、マンシーニら軽音楽の作曲家・指揮者の受賞の多さを別の視点から眺めると、映画=ハリウッドの音楽、放送業界の音楽が、当時は支配的だったこともわかります)。
その後、グラミーにもロックやフォークの波がやってきます。
その次はブラック・ミュージック(ソウル、ラップなどなど)。今やイタリア系のロマンチックな歌や、マンシーニ楽団のような穏やかな音楽は、主流の外に放り出されたようなかっこうです。
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5)もう一つのグラミー賞「ラテン・グラミー」
もう一つのグラミー賞と呼ばれるものに「ラテン・グラミー」があるのは、ご存じでしょうか。
アメリカ国内だけでなく(スパニッシュは黒人を抜いて国内最大のマイノリティ)、世界のスペイン語圏、ポルトガル語圏の音楽市場は急速に大きく成長しています。もはや従来のグラミー賞だけではその多用なラテン系音楽を紹介できなくなったと判断した同アカデミーが、1997年に設立したのが、「The Latin Academy of Recording Arts & Sciences, Inc」でした(2000年に第1回目)。
従来のグラミー賞の中にもラテン部門はあるのですが、それとは別に、発表の時期も独立して行なわれるのが「ラテン・グラミー」です。
ラテン・グラミーには、グラミー賞と同じように、最優秀アルバム賞、最優秀新人賞、最優秀プロデューサー賞といった数々の賞があります。
例えば2005年、第6回ラテン・グラミー賞「フラメンコ最優秀ディスク賞」をアルバム『アグアドゥルセ』で受賞した、ギタリスト、
トマティートもその一人。
トマティートは、日本でもファンの多いフラメンコ・ギターの奇才です(映画『ベンゴ』=トニー・ガトリフ監督、での超絶演奏が有名)。
いわゆるアメリカン・ポップの王道とは、ある程度離れたところで、このような音楽があることを発見するのがラテン・グラミーの接し方かもしれません。
あるいは、これらいわゆる「ワールド・ミュージック系」と呼ばれる音楽も、準アメリカ音楽として、取り込まれる兆しなのかも?……しれません。
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