上野の東京国立博物館(平成館)で「
東大寺大仏 天平の至宝」展が始まった。副題には「光明皇后一二五〇年御遠忌記念」とあり、聖武
天皇-光明皇后ゆかりの仏像、経典、古文書などが展示されている。
メダマはかの「奈良の大仏さま」が鎮座する大仏殿前にある八角燈籠(国宝)。高さ4.6メートル、重量3.3トンという大きなものだが、これを解体して東京にまで持ってきてしまった。どデカい大仏さんの手前にあるときと、博物館で特別にフューチャーされるのとではかなり見栄えが異なることは言うまでもない。
ご本尊の大仏さん(盧舎那仏坐像)も何度も災難に遭い鋳造し直されたことが知られているけど、この燈籠も後補された箇所が多いそうで、昭和には火袋羽目板の音声菩薩(おんじょうぼさつ)の一面がはがされて盗まれたこともあった(この一面も今回、はがれされたままの状態で展示されている)。だからオリジナルが製作された当時(8世紀後半)のものとなると、火袋でいえば、菩薩が縦笛と横笛を吹いている西側の2面だけであるとのことだった(プレス用内覧会での説明による)。
だが、そんなことを知らなくても、銅鋳・鍍金によるこの燈籠が並大抵のレベルでないことは誰にでもわかる。大変に美しいフォルムであり、同時に奈良のお寺で接していたときは「その他おおぜい」の一つとして見過ごしてきたことが、この上野で教えられるのだった。
八角燈籠(Beats21.com)
八角燈籠火袋羽目板。はがされて盗まれた羽目板(Beats21.com)
2008年の「国宝 薬師寺展」に同寺の日光・月光菩薩立像が同じ上野の国博へおいでになったとき、中二階を設えて、仏像をやや上方から見下ろすという会場デザインがなされた。中二階からスロープを下ればそこは両菩薩のお足元。そしてお寺では不可能な、後ろ側へまで廻ることができた。出典数を限って、そのかわりポイントの展示品をちゃんと見せるという考え方である。これは大ヒットとなった翌09年の「国宝 阿修羅展」にも引き継がれ、今回の八角燈籠の展示にまで至っている。おおお、という驚き(有り難いものに接しているという感動)では日光・月光の両菩薩のときが一番だったが……阿修羅は興福寺へお帰りなった時に開催された同寺での特別展が圧倒的だった……ま、こういうスペースを贅沢に使い、ガラスを取り払うという展示方式は、これからの基本になってほしいものだ。
(文・藤田正)
2010年10月8日〜同年12月12日まで。
この内、正倉院宝物展示期間は11月2日〜同月21日まで。
以下、出典されている名品のいくつかを写真で紹介しよう。
誕生釈釈迦仏立像(国宝)。お釈迦さんがお母さんの右腋から生まれてセイ・ハロー、「天上天下唯我独尊」と告げたという<名場面>。像の下には灌仏盤が付属しており、この盤の外側に施された線刻も美しい(Beats21.com)
西大門勅額(重要文化財)。でかい!(約、縦286センチ、横290センチ)。聖武
天皇の筆によると言われる10の文字「金光明四天王護国之寺」は
東大寺の国分寺とての正式名称。額の縁を飾る8体の仏像が仏師・快慶が造ったという可能性が指摘されているそう(Beats21.com)
重源上人坐像(国宝)。
東大寺伽藍の再興に尽くした重源(ちょうげん)上人の、その晩年の姿。図録によれば、顔は同じく仏師・運慶の作である可能性が高いという(Beats21.com)
僧形八幡神坐像(国宝)。今日では運慶に人気を引き離された観のある(?)仏師・快慶だが、現代的なダイナミクスとドラマ性を持つ運慶と異なり、彼のスタイルはその滑らかな作風に凛とした気品が漂う(Beats21.com)
伎楽面・崑崙(重要文化財)。いやらしく呉女にいい言い寄る異形の存在、こんろん。力士に調伏されてしまいます。日本史上最初とも言えるワールド・ミュージックの大祭典、
東大寺の大仏開眼供養会(752年)に使われたお面の一つ(Beats21.com)
プレス用の内覧会では、奈良から駆けつけた「せんとくん」と、産みの親である薮内佐斗志さん(彫刻家、東京藝術大学大学院教授)が仲良く手をつないでおられました(Beats21.com)
東京国立博物館公式HP:
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00