エルビス・プレスリーが主演した映画『監獄ロック』は1957年に製作されている。
彼がアメリカの音楽史を塗り変えようとしていた、まさにその時の映像だが、今から振り返ってみると現代の音楽がどのように作られているか、その原点を指し示しているようでなかなかに興味深い。
映画としてはどうと言うことのない平凡なクオリティだが(宣伝文句によると彼の最高傑作だそう)、DVDとして千円でお釣りがくる廉価盤でもあり、ポップス・ファンは一度見ておいても損はないはずだ。
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『監獄ロック』は、南部出身のエルビスの成功譚をベースにした物語で、歌で成り上がろうとする労働者階級の青年がどのようにして夢を実現してゆくかを描いてゆく。
…エルビス演じる主人公のビンスは、酒場の喧嘩がもとで相手を殺してしまう。
とうぜん、刑務所行きとなるビンス。だが彼は14ヶ月の刑期の間、ギターの弾き方を覚え、シンガーとしての才能を少しずつ開花させてゆくのだった。
出所後、ビンスはジュークボックスの営業を仕事とする美しい女性ペギーと知り合い、二人で歌を売り込むことを考え始める。ジュークボックスは、かつてはレコードの販売に関して重要なマーケットだったが、エルビスが登場してきた頃は、徐々に時代遅れな音楽メディアとなっていた。
ビンスは自分の歌をレコード会社に売り込む。だがオーディションの結果は不可、しかもその楽曲だけはしっかり盗まれて、他人のヒットとなる…というありさまだった。
ビンスはそれならばとペギーと二人でレコード会社を設立することを思い立ち、経営を統括する辣腕弁護士と契約し、ミュージシャンをそろえ、セルフ・プロデュースで1枚のシングルをカットするのだった。
弁護士、配給&宣伝(ペギー)を揃えてのインディーズというやり方は、エルビスの歴史的録音を行ったメンフィスのサン・レコード(サム・フィリップス)もそうだし、アトランティックほかのR&B、ロックンロール系のレコード会社の多くがそうだった。
こういう新しい時代の音楽ビジネスの方向性を、『監獄ロック』が映像で示しているというのは、今の時点から眺めると、新しいセンスを掬い上げることのできたのは保守的な大手レコード会社ではなかったという、当時の歴史的変節点をよく伝えている。
小さなスタジオで、弁護士やペギーらもレコーディング・ブースに入っての録音風景に、それがとてもよく象徴されている。
そしてメディア対策。美人のペギーが、シングルの売り込みに成功したあと、そのラジオDJから食事に誘われるというシーンは、当時(そして今も)、露骨に横行した賄賂・色仕掛けを暗示しており(有名なロックンロールのペイオーラ事件を参照)、これもまた面白いのだ。
ビンスは、この一つのラジオ局でのブレイクをバネにして、テレビ、そして映画へと進出してゆくのである(異端の存在が、メインストリームの階段を駆け上がる)。
「異端」という意味では、ジャズとロックンロールの支持層の違いもこの映画には描かれていて、それはペギーの実家(父は大学教授)でのパーティ・シーンなのだが、金持ち&インテリのオバンやオジンら白人が、やれデイブ・ブルーベックだポール・デズモンドだ、やれレニー・トリスターノがどーしたと、ずいぶん「ヒップ」なことを語っているそばで、主人公のビンスは「わけわからん!」と家を飛び出すのだった。
田舎者&労働者階級の出身で、いささかアブナい若者が都会へ持ち込んだ新しい音楽、それがロックンロールなのだ、というシーンである。
そう『監獄ロック』の見所の一つである、テレビ・スタジオでタイトル・ソングを歌い踊るシーンにしても、テーマはもちろん監獄である。しかも、歌詞の内容は脱獄だけでなく、監獄内でのホモの性行為(文字通りrock!)にも触れており、当時のエルビスが、そしてロックンロールがどれほどセンセーショナルだったかがよくわかる。
そして、そんな大センセイションであっても、ビジネスという金儲け・損得勘定が、ロックンロールという過激&異端を、がっぽりと呑み込んでゆくことをもこの映像は語っているのだった。
(藤田正)
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