文・藤田正
今回は2回にわたって、阿久悠の世界を旅することにしましょう。
作詞家として名を成し、『瀬戸内少年野球団』などのベストセラーも書いている方です。
阿久悠さんがこれまで作った歌詞が、なんと約5000曲という数も凄いですが、なにより「あの曲」「この歌」の大ヒットを連発。おまけに、ええっ! と思うような作品まで彼だったということが、この「ちょいかじり!」でわかります。
<1>「津軽海峡・冬景色」から「宇宙戦艦ヤマト」まで、なんでもあり!
例えば…「ペッパー警部」などの
ピンク・レディーの爆発的なヒットのほぼすべて。これはよく知られてます。
では、つい先ごろ再デビューして話題になった森昌子の出世作「せんせい」(デビュー曲)は? これも作詞は阿久悠さんでした。
ギンギラ・お色気ソングの金字塔「どうにもとまらない」(山本リンダ)、「絹の靴下」(夏木マリ)。
70年代のニュー演歌の傑作群「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「
北の宿から」(都はるみ)、「雨の慕情」(八代亜紀)、「ざんげの値打もない」(北原ミレイ)。
都会派ポップでは「ジョニィへの伝言」(ペドロ&カプリシャス)。
ほぅ、というところでは「宇宙戦艦ヤマト」(ささきおさお、ロイヤルナイツ)、「ウルトラマン・タロウ」(武村太郎、みずうみ)。
さらにテレビ番組からヒットしたものでは、「ムー一族」の挿入歌「林檎殺人事件(りんごさつじんじけん)」(郷ひろみ、樹木希林)も、ありましたね。
ヒットとはちょっと違いますが、「『あゝ甲子園』君よ八月に熱くなれ」(高岡健二/
夏川りみ ほか)も忘れられません。
…と、このように有名な歌を並べてゆくだけで、長い時間が経ってしまいそうな阿久悠さんなのです。
(上の写真は、全108曲を収録した決定盤5枚組『人間 万葉歌 阿久悠 作詞集』から。再録ものでお茶を濁すことがあるこの手の全集ものにあって、各社からオリジナルを借りて作られているのが素晴らしい)
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『人間 万葉歌 阿久悠 作詞集』
<2>出世作はグループ・サウンズの「朝まで待てない」
阿久悠さん、本名は深田公之(ふかだ・ひろゆき)さんとおっしゃいます。ペンネームは「悪友」から取ったんだそうですね。1937年2月7日、兵庫県淡路島の出身です。
大学を出て東京の広告代理店に入社、たくさんのラジオやテレビの番組制作にかかわります。歌番組の構成、ギャグやコントなども書き、放送作家として独立したのは1965年のこと。
いわゆる「業界」のど真ん中で活躍していた阿久悠さんは、最初から作詞家を目指していたわけではなく、「テレビ番組をやりながら、必要ならば詞はぼくが書きますよという姿勢」だったそうです(阿久悠著「愛すべき名歌たち」岩波新書)。
そして作詞家として出世作となったのが、独立から2年が過ぎた、67年のヒット「朝まで待てない」(ザ・モップス)でした。今ではGS(グループ・サウンズ)の秀作として知られるこの曲ですが、阿久悠さんにとっては、初めてシングル盤のA面となった記念碑だったのです。
ちなみに「朝まで待てない」は、作曲を担当した村井邦彦さんと一緒にホテルでカンヅメになり、早く書け、もう(締め切りの朝まで)時間がない! とディレクターからせっつかれて、最後にひねり出した題名だったという逸話が残っています。
(阿久悠にとってのデビュー曲は65年の「モンキー・ダンス」=田辺昭知とザ・スパイダース)
<3>「…か」の一文字にかける、作詞家のこだわり
阿久悠さんの代表作は…といっても、たくさんありすぎて困るほどです。
都はるみさんの「
北の宿から」もその一つです。この歌は1975年(昭和50年)の暮れに発売されて、まるまる1年間売れに売れて、レコード大賞ほかもろもろの賞を総なめにした演歌の名曲です。
「着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて編んでます…」
「あなた死んでもいいですか」
「女心の未練でしょう…」
…という名フレーズ。でも「女心の未練でしょうか…」(最後に「か」が)ではないんだ、と阿久悠さんは言います。
演歌に歌われる女性だから、その常識どおりに、「でしょうか?」とすれば「誰かに向かって答えを求めている」(阿久悠)こととなる。でも彼は、失恋しても、一晩くらいはメソメソしたとしても、最後は自分で自分の生き方を決める「性根」のある女性を主人公にしたかったのだと。
だから「女心の未練でしょう〜」と、「か」がない、というわけです。
…みなさん、カラオケで「か」を付けて歌ってませんか?
間違って歌っている人、けっこう多いんだと、阿久悠さんは言っています。
70年代演歌の金字塔「北の宿」は、阿久悠さんが作詞、作曲は小林亜星さんです。二人はコマーシャル・ソングを一緒に作ってからの付き合いだそうですが、コンビとしての最初のヒットが「ピンポンパン体操」(1971年)。そう、ユニークな面白い歌詞が並ぶあの歌。歴史的なモンスター・ヒット「およげ!たいやきくん」(75年)に次ぐ、有名なキッズ・ソングです。
「とらのプロレスラーは シマシマパンツ…」
このパンツは、はこうとしても、すぐに取れてしまうんですね。
こんな楽しくてキテレツな歌を編み出した人たちが、女性のせつない心模様「
北の宿から」も作ってしまう。アタマが柔らかくなければ、とても出来ない芸当です。
<4>ジュリーと三億円強奪事件
歌謡曲、ポップ・ミュージックは、売れてこそナンボの世界です。
ですから、次はこのビックリするような企画で、売出し中のこの歌手・あの俳優でやってみよう!…と、スタッフは常にアタマをひねりヒットを狙います。
沢田研二の「時の過ぎゆくままに」は、そういう企画の中から生まれ出たヒットでした。
元タイガースのリード・ボーカル。そして、男性歌手として阿久悠さんと一緒に仕事をしたことで、以前にも増して大きなブームにつなげたのが、かのジュリーでした。「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」…妖艶なイメージを漂わせるシンガーとして、ジュリーは70年代、筆頭の位置にありました(今ここに列挙した歌はすべてが阿久悠の作詞)。
中でも有名な1曲が「時の過ぎゆくままに」。75年に世に出て、当時90万枚を超すヒットとなった歌ですが、そのイメージは、1968年に起こった世紀の大事件「3億円強奪事件」にヒントを得ているのです。
仕掛け人は、先日亡くなった作家の久世光彦(当時はTBSの花形演出家)、そして阿久悠でした。ジュリーを主役に立てたテレビで、彼に何をやらせようか?
そして二人は「まる二日間温泉宿で語り合い、当時、時効が騒がれていた三億円事件を思い出し、もしも、最もみじめな生活をしている青年が、実はひそかに三億円を抱いているとしたらどうなるか、という企画で落ち着いた」(『愛すべき名歌』から)
ここに生まれたのが、原作・阿久悠、脚本・長谷川和彦、漫画版・上村一夫という豪華な布陣によるTVドラマ「悪魔のようなあいつ」だったのです。
不治の病におかされて、余命いくばくもない主人公(可門良)を、ジュリーが演じます。そして、そのドラマの中で歌ったのが「時の過ぎゆくままに」でした。
ジュリーに対する、この時の久世の弁:
「彼は刃物のように危険で、氷のように酷薄で鋭く、だからこそ甘美なロマンの国へ入れるライセンスを、たったひとり許されて持っている美しい青年である」
男も惚れ惚れとするジュリーの色気。ホモセクシュアルの世界を濃厚に漂わせた作品でした。残念ながらテレビ番組としてはちっとも当らなかったそうですが、歌のほうは、ジュリーの代表的な1曲となりました。
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DVD『悪魔のようなあいつ DVDセット1』
<5>
美空ひばりをイメージして書いた教材…「舟唄」
ヒット曲は、ひょんなところから生まれます。
八代亜紀の「舟唄」(1979年)もその一つ。なにしろこの歌詞は、阿久悠がスポーツ紙に連載していた歌詞作りの講座に、私ならこう書きますという実例教材だったからです。
この歌詞が新聞記者の手を経て一人歩きし、最後に浜圭介(「石狩挽歌」の作曲家)の所にやってきて、ついに大ヒット曲になった。ご存じのように「舟唄」に続いて八代亜紀は、同じ作家チームによる「雨の慕情」(80年)を出し、スターの地位を磐石なものとするのです。
この「舟唄」の歌詞ですが、もともとは「阿久悠の実践的歌詞講座」(スポーツニッポン)に載ったものでした(74年〜76年)。連載の最終編「
美空ひばり編」に、オリジナルの「舟唄」が登場します。
「舟唄」は、
美空ひばりさんをイメージして書いた歌詞だったのです。
実は、
美空ひばりと阿久悠は、同じ昭和12年の生まれです。彼にとって
美空ひばりという女性は格別中の格別であり、
「天才少女歌手といった生やさしい存在ではない、と思っている。ファンタジーである。敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、しかも、人を救う使命を帯びていた」(『愛すべき名歌』から)……このような巨大な存在でした。
そんな
美空ひばりをアタマに思い浮かべて書いたのが、あ酒はぬるめの燗がいい〜と始まる、「舟唄」だったのです。
ちなみに阿久悠さんは、そんな
美空ひばりさんへいくつか作品は提供したことはあっても、「ついに、真っ正面から(
美空ひばりに)対してヒット曲を作らなかったことを後悔した」と書いています(出展は同上)。これは、平成元年、びばりさんが亡くなったあとに書かれた文章です。
……でも、八代亜紀のイメージとあまりにぴったりなせいでしょうか、「舟唄」が、ひばりをイメージして書かれたとは、今となってはちょっと信じがたいことではあります。
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『定番ベスト/八代亜紀』
*この原稿は、毎日放送「はやみみラジオ 水野晶子です」(月〜金 午前6:00〜7:45)の「音楽いろいろ、ちょいかじり!」に書き下ろしたものを再構成しました。2006-07-03〜07放送。