マイルス・デイビス 80歳おめでとう特集
文・藤田正
 
 
クールの誕生
<1>自己改革なくして成長なし
 マイルス・デイビスは、もし彼が生きていれば今年(2006年)で80歳を迎えたことになります(1926年5月25日〜1991年9月28日)。
「改革なくして成長なし」……あの、日本が米国の植民地であることが嬉しくてしようがない小泉首相の有名なキャッチフレーズですが、この、言葉としては立派だけど、実行するにはなかなかの難題を、音楽の世界でやりつづけたのがマイルスでした。若い頃からジャズ・トランペッターとして確固たる評価を得ながら、マイルスはそれに甘んずることなく変身しつづけ、その行動はいつも次の時代の指針となりました。
 今回は、そんなマイルスから自己改革の勇気、チャレンジする意欲をもらいたいと思います。
 マイルス・デイビスはイリノイ州のアルトンで1926年5月26日に生まれています。チャーリー・パーカーにディジー・ガレスピーという歴史的なプレイヤーにその才能を見出され、その後『クールの誕生』『マイルストーンズ』『イン・ア・サイレント・ウェイ』ほかたくさんの傑作を世に送ります。彼がジャズ界で頭角をあらわすのは、早くも1940年代の終わりからですが、その後、モダン・ジャズの旗手へと成長し、次にエレクトリック・ジャズへ、そしてジャズとロックやソウル・ミュージックの融合…と、刻々とスタイルを変えて行きました。
 その変化のキーワードの一つが、「クール」。今では日本でも使われる「かっこいい」という意味の俗語ですが、時代の変化をしっかりと見据えた上で自分の考える「クール」を打ち出す。彼は、てのひらに乗っている、ちょっとした評価や賞賛など見向きもせず、ひたすら次の時代の「クールな音楽」を目指しました。
 それがジャズやロックを変えていったのでした。
 こういう姿勢って、私たちも学ぶところがあるんじゃないでしょうか。
 
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Portrait in Jazz
<2>音楽に白人も黒人も関係ない
 マイルス・デイビスは音楽に境界を作ってはならないと考える人物でした。
 こんなことは一般常識でしかないと思われるかもしれませんが、彼が生まれたのは1920年代のアメリカです。肌の色の違いが、社会生活すべてに影響を及ぼす時代に彼は様々なな体験をしたのです。
 マイルスは、あからさまな人種差別の時代にあって、かなり進歩的な考え方の持ち主でした。彼は人種差別の重圧に屈することのない黒人であり、と同時に、白人であっても才能があれば自分と共演することにためらいはありませんでした。
 彼が才能を開花させた1950年代、例えば南部では、レストランで食事をするのも、トイレでも、バスの席ですら白人と黒人は分かれることを求められ、そういった差別は時に暴力的な事件にも発展してゆきます。音楽のグループを作るとしても白人のバンドの中に黒人や肌の黒いラテン系が入ると、いろいろなトラブルが起きたのです。白人側ではスウィング・ジャズのベニー・グッドマンや、盲目の名ピアニスト、ジョージ・シアリングなどは、自分のバンドに黒人を雇い入れて批判を恐れず「音楽に境界なし」を示した人たちでしたが、方や黒人側となるとマイルスの以下の発言が有名です。
「緑色の肌で赤い息を吐いてようが、オレは使うぜ。オレが買ってるのは肌の色じゃない、演奏の腕なんだ」(自伝から)
 彼がリー・コニッツ(サックス)をバンドに加入させた時の発言です。
 ビル・エバンスという才能あふれる白人ピアニストをメンバーに迎えた時も、周囲の黒人のファンやミュージシャンは「なんで白人を入れるんだ」という批判がマイルスに浴びせかけたそうですが、彼はガンとして動きませんでした(ビル自身は周囲の黒人たちのそのキツい視線に耐え切れなくなってバンドを辞したとされています)。
 ジャズ・ファンであればご存じのように、エバンスがマイルス・バンドに持ち込んだヨーロッパ・クラシック音楽などの「白いリリシズム」は、60年代以降のジャズの在り方を大きく変えることになるのです。
 間違っているのなら「NO」と言い、頑固一徹、自分の考えを貫き通す。
 ちなみに日本の名ジャズ・トランペッター、日野皓正(ひの・てるまさ)さんは、マイルスを評してこう言っています。
「結局、信念がない人はオリジナリティがない。信念のある人は、世界はこうあるべきだとか、人はなんのために生まれてきたのかとか、すべて自分に問いかけて、それで演奏するときにそれに応えてるわけでね。」(マイルス・デイビス『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のライナーから)
 
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columbiajazz.com
<3>若い人たちを誘い込むマイルス・スクールの独創
 マイルス・ミュージックの特色は、一つに、次々と姿を変えること(そしてそれを楽しむこと)でした。同時に、彼は無名の若手をどんどんと自分のバンドへ登用したことでも知れられています。
 若い人たちの才能を見抜き、リーダーとしての自分にはない斬新アイデアや感覚を自分のチームへ取り入れる。これは現在の会社運営にも当てはまるベイシックなことです。
 マイルスのバンドを経由し、大物になっていったミュージシャンはたくさんいます。
 ジョン・コルトレーン(サックス)
 ビル・エバンス(ピアノ)
 ハービー・ハンコック(ピアノ)
 ロン・カーター(ベース)
 トニー・ウイリアムス(ドラム)
 ジョン・マクラフリン(ギター)
 ウェイン・ショーター(サックス)
 チック・コリア(キーボード)
 アル・フォスター(ドラム)
 ムトゥーメ(パーカッション)
 ……ここに挙げた人たちだけでも、その後、ジャズ、フュージョン、ソウル・ミュージック、ロックの世界で名をなしたスターばかりです。 
 というよりも、マイルスとその「学校の卒業生」の活躍がなかったら、アメリカン・ポップ・ミュージックは今ある姿にはなってはいない、と断言できるほどなのです。
 音楽は自分だけでは成り立たない。だから常に風通しよく、常にフレッシュな空気を吸い込む必要がある。
 大物になって、歳を重ねて…でもアタマは柔らかく、若者たちと付き合う。
 これもマイルスから学びたい姿勢です。そういう意味で、例えば、マイルスがジャズを捨ててしまった!と大議論まで巻き起こした、大ヒット・アルバム『ビッチェズ・ブリュー』(70年発売。1年で全米で40万枚のセールス=ジャズ系としては画期的な大ヒット)などが有名ですね。
 余談ですが、上記のアルバム・タイトルは、本来ならば「ビッチーズ・ブルー」と発音するべきはずですが、言葉があまりにも卑猥なので日本のソニーが意図的に、カタカナ表記を上記のように変えているのだと思われます。
 
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ラウンド・アバウト・ミッドナイト
<4>今どきの「ちょいワル…」なんて、話にならない!
 オシャレ。ジャズ界の帝王、マイルス・デイビスはこの方面についても大変な人でした。若い頃からオシャレには気を遣い、(ヘロイン中毒でぼろぼろになった時期以外は)頭髪から靴の先に至るまでいつもクールに決めていました。
 歩き方も、トランペットをどういう風に構えて吹くのかも、その一つ一つがオシャレの重要なテーマでした。「ヒップ(めちゃかっこいい)」であることが、モダン・ジャズのキーワードであり、マイルスはその方面でも一番手の一人だったようです。
 CDのジャケットに写る、往年の名プレイヤーたち。ディジ・ガレスピー(トランペット)のあの有名なヤギヒゲ、デクスター・ゴードン(サックス)の憂いを含んだ佇まい…音楽とファッションは一心同体であるというメッセージは、50年代のジャズによって確立されたと言ってもいいのかもしれません。例えば『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』の、ぼんやりとした赤いライトに浮かび上がるマイルス。トランペットを左手で抱き、右手はアゴを支える。短く刈り込んだ頭髪。舞台の上で、じっと考えこんでいるような彼の視線は、サングラスによって見ることはできません。
 もうこの写真だけで、彼の音が聞こえてくる。
 そして、その通りの(あるいはそれ以上の)音楽を提供したのがマイルス・デイビスでした。今どきの、「ちょいワル…」なんて、マイルスに笑われますよ。
 なぜなら、彼は真剣に全人生をかけて、かっこよさを求めた人だったから。
 
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Kind of Blue
<5>常識をくつがえし、新しい常識を作ったマイルス
 音楽的に刻々と姿を変え、どの時代も傑作を生み出した男、マイルス・デイビス
 彼はいくつもの常識を覆したミュージシャンでもありました。
 マイルス特集の最後となる本日はその中の逸話を二つほど…。
 
 一つは、ジャズの帝王とされるマイルスその人が、大変に裕福な家庭に生まれ育ったということです。ジャズやブルースといえば、私たちはどうしても「貧しい環境に生まれて」「泥沼から這い上がって」…というイメージを抱きがちですが(それは決して間違ってはいませんけれど)、マイルスは、違いました。
 すなわち、彼のおじいさんは、19世紀から20世紀への変わり目の頃には、南部のアーカンソー州で約60万坪の土地を購入できたほどの頭の切れる富豪でした(そのせいで、周囲の白人から狙われ、ボディガードをつけていたそう)。
 また奴隷解放前のデイビス家は、「みんなクラシックを演奏していた」ともマイルスは自伝で書いています。
 マイルスのお父さんも、とても頭のいい人で、「おやじもその兄弟も姉妹も、高校には行かなかった。飛び越して、いきなり大学へ入ったんだ」(自伝から)。
 お父さんは、東セントルイスでは大変に有名な歯医者さん、しかも保安官の資格を持ち、思想的には急進的な黒人解放論者でした。
 マイルスはこのような家庭に育った人物でした。
 彼には有名な逸話があります。マイルスがかの有名なジュリアード音楽院に入学し、白人の女性講師がブルースとは何かを常識的に語り出した時のこと、彼は手を上げて、こう言ったそうです。
「ボクは東セントルイスの出身で、父は歯医者なので金持ですが、でもボクはブルースを演奏します。父は綿花なんか摘んだことはないし、ボクだって悲しみに目覚めてブルースをやっているわけじゃありません。そんな簡単な問題じゃないはずです」
「そんな簡単な問題じゃないはずです」という一言が、効いている。さすがです。
 
 二つ目。彼はモテモテの人生を送った人でもありましたが、中でも最高の思い出だったと語るのは、ジュリエット・グレコとの恋だったそうです。
 フランスの女優・歌手として、第二次大戦後のパリにあって人気急上昇中だったグレコに、1949年、マイルスは劇的な出会いをしたのです。 
 代表曲「私は日曜日が嫌い」(1951年「エディット・ピアフ賞」受賞)などで知られるグレコは、ご存じのように、サルトルなど実存主義の哲学者たちとの交流を持ち、前衛的な歌詞を歌にのせて一時代を築いた女性です。美しい女性であると同時に、自己の思想を明確に持っているという点に、マイルスは新しい時代の女性像を見たようです。
 白人も黒人も男女も関係なく、一人の人間として、芸術や人生を創造すること。マイルス・ミュージックの(誰にも真似のできない)独創性の根っ子は、こういうグレコのような人物との交流からも、培われていきました。
 ちなみに言葉の通じない二人は、セーヌ川のほとりで、表情や仕草だけで愛を伝えあったそうです。まるで映画ですね。
 
*引用出展:『マイルス・デイビス自叙伝(1)』JICC出版、マイルス・デイビス/クインシー・トループ著、中山康樹訳)
 
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*この原稿は、毎日放送「はやみみラジオ 水野晶子です」(月〜金 午前6:00〜7:45)の「音楽いろいろ、ちょいかじり!」に書き下ろしたものを再構成しました。2006-05-22〜05-26放送。

( 2006/07/08 )

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