とうようさんが現役バリバリの時に奴隷の一人だった私に言っておられました。亡くなったから「いい人で残念です」みたいな言い草はやめろ、と。
「プロであるなら死んだとしてもきちんと歴史的な評価を加えなくてはならない」とも。
ならば、その御言葉は今、御自身の人生にも当てはめられるべきでしょう。すなわち、とうようさんは、御自分がたいしたことをやってこなかったことを、晩年になって(我々無数の奴隷たちが離れ去った後)、御理解されたのだと私は判断します。たった一人の業績など、ちっぽけなものだという、当たり前のことをです。そして、「とうよう先生!」と媚びへつらう方々は今も何人かはおられるとしても、人はそんな嘘っぱちの権威、かつS&Mな関係に立ってのみ生きてはいけないことにお気づきになれなかった。ずっと、権威の上に居続けようとされておられた。
沖縄音楽や
ラテン音楽の、「俗」の中から生まれ出る素晴らしき大衆性が、実はいかに聖なる輝きを放っているのかがわからなかった。世界各地の大衆音楽の謎解きをされた人物が、まさにその音楽たちの「肝心」から一番に遠かったということを、引退後の毎日、膨大な音楽資料に囲まれながら、お一人でお考えになっておられたのだろうか、と私は思います。
2011年7月22日、藤田正 拝
中村とうようonウィキペディア:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E3%81%A8%E3%81%86%E3%82%88%E3%81%86
沖縄本島・斎場御嶽から神の島、久高島を望む
(2011/06/11・beats21.com)