危険地帯だと周囲に止められようが「行こう!」と決めたら、カメラを担いで飛んで行ってしまうのが板垣真理子という人である。
ナイジェリアのサニー・アデを追いかけて、突撃取材を敢行したのもこの人。キューバの
ブエナ・ビスタ・ブームで最も活躍したカメラマンも彼女だった。
その爆発的なエネルギーは、どこから生れるのだろうか。(取材:藤田正)
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ナイジェリアのジュジュ・ミュージックが日本で大きな話題になったことがありました。
ボブ・マーリーが亡くなって、次はジュジュだ…という感じで。板垣さんは、この時、政治うんぬんは別にして一般的な情報がまるでなかった
ナイジェリアへ1人で行ってしまうんですよね。
「周囲のカメラの先輩や仲間たちは、もう大反対でした。危険だからやめなさい、女性だから何されるかもわからない、とか。たった1人、行けばいいじゃないですか、と言ったのが藤田さんだった。藤田さんが『ミュージック・マガジン』の編集部にいた頃ですよね」
--そうです。政情が不安定な国だし、なにしろジュジュって何だ?って時に、レゴス(首都)などの下町へ飛び込んで行っちゃった。ひ弱な音楽評論家はもちろんのこと、男のフォト・ジャーナリストもビビリまくりの時だったよね。でも、やる気充分だったから、こりゃ型どおりに止めても、しょうがないだろうなと(笑い)。
「おかげさまで、ほんとーに、ありがとうございました(笑い)」
--最初がジャズだったんですよね。
「でも、私は遅かったんですよ。ジャズは、ぎりぎり<間に合った>という感じです」