Beats21 Memorabilia2001:from Best10 to Best1
SICP57
 2001年に発信された内外のニュースから、Beats21編集部が独自に「メモラビリア(記憶に残るできごと/備忘録)」を作成した。
 2001年は、何を置いても「米・同時多発テロ」をきっかけとした21世紀初めての戦争が世界を揺るがしたが、その影響は音楽にもはっきりと表われた。特に欧米のトップ・ミュージシャンの「有事」に対する反応は、カウンター・カルチャーとして20世紀に成立したロック・ムーブメントの終焉と言えるものだった。文・藤田正(Beats21)。

■メモラビリア2001:ベスト1
「同時多発テロをきっかけとしたチャリティ・アルバム」
 2001年9月11日に起こったNY世界貿易センター・ビルほかへのテロによって、アメリカ人を中心とした多くの人々が犠牲になった。
 アルバム『ゴッド・ブレス・アメリカ』(写真)、『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』『ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』、マキシ・シングル 「ホワッツ・ゴーイング・オン」(以上、すべてソニー)などは、これをきっかけとして制作されたアルバムである。
『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』『ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』の2枚は、大がかりなチャリティ・イベントのライブだが、緊急に企画されたイベント〜レコーディングにもかかわらず、高名なアーティストの招聘から、選曲、録音ほか、プロデューシング全体の秀逸ぶりは特筆すべきものだった。
 ライブではないが『ゴッド・ブレス…』や、(本来はHIV患者のためのチャリティだった)「ホワッツ・ゴーイング・オン」のプロジェクトも同様に高いクオリティを誇った。
 これらの作品は、それぞれが犠牲者への追悼や義捐金調達のために大きな成果を上げた。
 と同時に、広い視点に立って眺めた時、アメリカやイギリスの大物スターたちが戦意高揚のために手を貸した行動でもあった。
 その典型例が、『ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』の呼びかけ人でもあったポール・マッカートニーの「フリーダム」で、彼はこの歌で、自由は神から与えられた権利であり、我々はその自由を奪おうとする者と戦うと主張している。
 戦争への言い訳として古今東西、使い古された文句が、マッカートニーのような人物の口から復活してきたというのは、情けないかぎりである。
 音楽と人間社会との関係を、考えさせられた2001年だった。
 
 参照記事:「宇多田ヒカル/戦争反対と28歳引退の二つのメッセージ」「佐野元春、米・同時多発テロを歌う」「ニューヨークの惨劇、坂本龍一もHP上で報告
Virgin/東芝EMI
■メモラビリア2001:ベスト2
ジョン・リー・フッカーら往年の大物が亡くなる」
 2001年も、20世紀のポピュラー音楽を担った大物ミュージシャンが続々と姿を消した1年だった。
 ジョン・リー・フッカー(1920〜2001)さんは、マディ・ウォーターズ、ライトニン・ホプキンズらとならぶ第2次大戦後のブルースの大物。シカゴを拠点としたマディらと異なりデトロイト・ブルースの巨人と言われた。全盛期を過ぎた晩年でも、その強烈なボーカルと異様な迫力のギターを武器に、エリック・クラプトンらと積極的な活動を行なった人物だった。
 メンフィスで名声を獲得しメンフィスの地で亡くなったルーファス・トーマス(1917〜2001)さんは、60年代の南部系ソウル・ミュージックの起爆剤となった重要人物。そのコミカルなパーソナリティは日本ではあまり評価されていないが、現地では正反対。ブラック・メンフィスの名士として愛され続けた人物だった。
 キューバ出身のホセ・ファハルド(1919〜2001)さんは、60年代半ばからスタートする「サルサ」の時代の基盤をなした人物の一人(フルート奏者)。フルートとバイオリンをフィーチャーした「チャランガ」編成により、豪快なダンス・ビートを提供した。
 
Universal Int'l
■メモラビリア2001:ベスト3
エミネムの『ザ・マーシャル・マザーズLP』がグラミー賞」
 2月に発表された第43回グラミー賞で、エミネムが「ベスト・ラップ」ほかを受賞した。
 ゲイや女性に対する差別的な歌詞や裁判沙汰など、さまざまなトラブルを抱えながらも、そういった「負の人気」も巻き込んで世間をかき回したラップ・スターがエミネムだった。
 2000年から2001年にかけての彼への注目は、1990年代に大きなマーケットに成長したラップが、「白人のバッド&クレイジー」という象徴を得て新たな局面に入ったとも言えるだろう。
ソニーM.E.
■メモラビリア2001:ベスト4
鈴木あみが、裁判勝訴なるも芸能界から追放の憂き目に」
 アイドル・シンガーの鈴木あみと両親が、彼女の所属事務所に起こしていた訴訟で、2001年7月18日、裁判所は鈴木側の主張を認める判決を下したが、勝訴したはいいもののすでにその前から鈴木あみは、事実上、芸能界から追放の状態となっていた。
 鈴木と契約関係にあった事務所による法人税法違反に端を発するこの事件は、一人のシンガーがはっきりとした権利の主張をした場合、時によっては業界全体が一度にソッポを向いてしまうという、これまで噂(うわさ)の域を出なかった話が事実であることを一般の人たちに報せた「意義」は大きい。
 華やかな名声も、巨額な投資という舞台の上で成り立っており、この舞台の所有者たちの判断しだいでいかようにもなる。後ろ盾であったはずの小室哲哉プロデューサーが、彼女に助け船を出さなかったのが象徴的。
HICC1201
■メモラビリア2001:ベスト5
「沖縄のモンゴル800、インディーズで50万枚のビッグ・セールス」
 沖縄の音楽に新時代の到来を告げるのではないかと言われている、モンゴル800(通称、モンパチ)の、2001年9月に発売した『メッセージ』(ハイウェーブ)が、年末の段階で出荷枚数50万枚を記録した。
 独立系のロック・バンドとして、これは大きな成功であることは言うまでもない。
 また主張を明確に持ち、これをトータル・アルバムとしてまとめ上げた『メッセージ』は、「前向き生きる」「自分らしく」といった曖昧な言葉ばかりを費やしている日本音楽のメインストリームにあって、珍しく苦味をそなえた作品となった。
 こういう若いロッカーのアルバムも、沖縄から生まれるのが今の日本らしいのかも知れない。
Dark Horse
■メモラビリア2001:ベスト6
ジョージ・ハリソンさん、ガンとの長い闘いに破れる」
 二人目となるザ・ビートルズのメンバーの死である。
 解散してから約30年も経ているのに、メンバー全員の動向が注目されるというのも、ビートルズならではだろう。
 ジョージ・ハリソン(1943〜2001)さんはリード・ギタリストではあったものの、ビートルズではジョン・レノンポール・マッカートニーという二つの巨大な光に隠れがちな存在であったことは否めない。
 しかし、彼の強い信仰心の表われである「マイ・スゥイート・ロード」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ほかのヒットを持ち、スーパー・スターが結集するチャリティ・イベントの先駆けである「バングラデシュのためのコンサート」(71年)を開催したことでも知られた人物だった。
 愛煙家であったことが、大切な命を縮めた。
 
BMG/Bad Boy
■メモラビリア2001:ベスト7
「一人だけが生延びる...パフィ・コムズの抜群の?処世術」
 2001年3月16日、ニューヨーク州地裁陪審で、99年12月に発生したディスコ発砲事件で、銃の不法所持と買収容疑で起訴されていたプロデューサー/ラッパーのパフィ・コムズ(現、P・ディディ)の無罪が言いわたされた。一連の報道では次々と不利な証拠・証言が紹介され、同じく起訴されたハードコア・ラッパーのシャイン(実刑確定)とともに、実刑判決が出るのではと言われていたが、彼は見事、切り抜けた。
「ラップ=トラブルの震源地」というイメージが付きまとうラップ世界にあって、短期間で巨大な富と権力を築き上げたパフィ・コムズは、輝かしい経歴の裏側にある「闇」の部分がとかく話題に上る一人だった。
 彼のレーベルであるバッド・ボーイ最大のスターだったノートリアスB.I.G.の死を筆頭に、最近では若いシャインの刑務所入りに至るまで、常にトラブルの中心にパフィ・コムズがいた。メイスのあっという間の引退ほか、次々と「組みかえられる」配下のミュージシャンを尻目に、コムズだけが生き残るという印象を強く与えたのが2001年の判決だった。
Beats21
■メモラビリア2001:ベスト8
「復権へ...再評価の作業がはじまった『竹田の子守唄』」
 京都の被差別部落に生まれ、70年代はじめに大ヒットしたのが「竹田の子守唄」である。
 この歌は、その後、メディアの自主規制によっていわゆる「放送禁止歌」となった。
 部落出身の歌であるからというひどい差別によって傷つけられた名歌を、正面から再評価しようという動きが、ようやく2001年から目に見えるかたちとなって動き出した。
 2月10日、京都府伏見区のパルスプラザで開かれた「ふしみ人権の集い」は、その大きな第1歩で、当日は、この歌をうたい継いできた「紙ふうせん」(元・赤い鳥)と、原曲をうたう竹田地区のコーラス隊が、初めて一つの舞台に上ったという記念すべきイベントとなった。
 最近では、NHKほか、放送メディアでもこの歌が紹介されるようになっており、2000年末にはサザン・オールスターズの桑田佳祐が舞台で歌ったことでも話題となった。
Virgin/東芝EMI
■メモラビリア2001:ベスト9
「若き歌姫アリーヤさんが、飛行機事故でバハマの海に沈む」
 将来を嘱望されていたシンガー、アリーヤ(1979〜2001)さんが、2001年8月26日(日本時間)、バハマのアバコ島で亡くなった。
 プロモーション用のビデオを撮影し終え、帰国するために機中の人となった彼女を悲劇が襲った。
 原因は、チャーター機が既定を大幅に越える荷物を積め込んだためとされるが、アルバムを発売したばかり、しかも22歳という若さだった。
RCA Int'l
■メモラビリア2001:ベスト10
「メキシコの『マドンナ』が、ブラジルの獄中で不可思議な妊娠」
 メキシコの「マドンナ」とうたわれ、90年代に人気絶頂にあったセクシー・シンガー、グロリア・トレビがブラジルの監獄で妊娠、しかも相手が誰か不明という「珍事」が2001年に話題となった。
 グロリア・トレビは、そのマネージャーらもふくめ、彼女の下に集まった子どもたちを虐待したかどでメキシコ当局から指名手配を受け、ブラジルで収監されていた。
 母国に強制送還されることを嫌ったトレビは、ブラジル国内で子どもを持てば外国人犯罪者であっても送還を免れることができるという法令を利用したものと思われる(ただしこの法令は過去のもの)。
 常識的にありうるはずのない「監獄内セックス」が発覚したブラジルでは、当局が彼女の相手が誰であるかをDNA検査し、2001年12月の段階で、ある警察官であることが分かったと発表している。

( 2001/12/30 )

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