世界的な芸術家、イサム・ノグチ(1904〜1988)の人がらを知るには、ドウス昌代による克明なルポルタージュ『イサム・ノグチ―宿命の越境者』を読むことがまずは最初だろう。彫刻家のブランクーシに弟子入りし、伊藤道郎(舞踏家)と付き合い、丹下健三ら日本現代建築の筆頭たちとの交流はもちろんのこと、戦後の最大のスター、山口淑子(李香蘭)と結婚し、その二人の住まいが北大路魯山人の離れだった、というのだからこれだけでも凄い。それほどイサム・ノグチが魅力的な存在だったわけだが、なにより彼を世界へ羽ばたかせた第一の存在がレオニー・ギルモア。すなわちノグチのお母さんだった。『レオニー』は、このお母さんの生涯を描いた作品である。
製作・脚本・監督が松井久子。レオニー役がエミリー・モーティマー。イサム・ノグチの父親、野口米次郎役が中村獅童。
原案はドウスの先の書籍だが、松井監督は独自の調査によりあくまで母を中心とした物語にしており、彫刻家として充分な名声を得たあとのノグチはイメージ的にしか登場しない(この彫刻家の役が勅使河原三郎)。
詩人として海を渡りアメリカにやってきた父、米次郎。それを編集者としてまともな英語詞に直してやったレオニー。レオニーはやがて妊娠するにいたる。
時は明治37年、日露戦争の年の出来事だった。米次郎は「妊娠」の一言を耳にするや、レオニーを捨ててそそくさと日本へ帰ってしまう。ここからレオニーとイサムとの苦難の歴史が始まるのである(当時は「父」から正式に名前も付けてもらえなかった)。
米次郎はその後、慶應義塾大学の教授にまで成り上がる人物だが、ドウスの本でも、この映画においても「あぁこんな卑怯なオトコは、たしかにおるぜよ!」という風に、偉ぶりたいだけのちっぽけな存在として描かれている。ナマっちろい演技の中村獅童がなぜにこの役なのかは分らないが、女性監督ならではの視点がレオニーの気丈夫、そして「つまらない人生は絶対にイヤ!」という根っこにある主人公の激しい性格をうまく描き出している。二人目の子ども(アイリス)が、誰との間に出来たかを決して口外することがなかったというのも、レオニーらしい逸話だ。
母と子はついに日本へやって来た。まったくの異文化に大ショックを受けながらも、レオニーはイサムを育て、アイリスを産む。イサムが9歳の時に(共同)設計した、脅威の「三角形の我が家」も映画の中に登場する。母のために富士山が見えるよう2階に和風の丸窓を設けるというアイデアは、やはり尋常な才能ではなく、これも「あなたの芸術性に任せるから」という母の子育てポリシーがあってこそ生まれ出たものなのだろう。また映画後半に出てくる、優秀な医学生だったのに、このまま医者なんかになるな、芸術をやりなさいと教師の前でハッパをかける母親というのも珍しいよね。
太平洋を挟んでの異文化の衝突。戦争や人種差別も、彼女と彼の人生にいつもついてまわった。イサム・ノグチが、常に自分がどこに所属する存在であるかを自らに問うていたように、レオニーも貧困と闘い、この世での安住とは何かを模索した人だった。少年イサム・ノグチが、単身渡ったアメリカで、乞食同然の生活をしながら日本にいる母を思う。象徴的なシーンである。かの大彫刻家の「原点」ともいうべきものがこれか。
そんな親子の激しい人生を彩る、「懐かしい日本」「いにしえのアメリカ」の風景や出演者たちの衣装も凝ったものだった。そして、レオニー役のエミリー・モーティマー、上手い!
フリーダ・カーロ(メキシコの画家)ほか、数々の女性との浮名でも知られるプレイボーイとしてのイサム・ノグチは、『レオニー』には出てこない。母レオニーが亡くなるのは1933(昭和8年)。日米の関係を決定的に引き裂く真珠湾攻撃が行なわれるのは1941年のことである。
11月20日から全国ロードショー。
(文・藤田正)
『レオニー』公式HP:
http://www.leoniethemovie.com/
amazon-講談社文庫『イサム・ノグチ(上)―宿命の越境者』(ドウス昌代著)
amazon-講談社文庫『イサム・ノグチ(下)―宿命の越境者』(ドウス昌代著)
amazon-CD『決定盤 李香蘭(山口淑子)大全集』