■カッコよく死んでこそのヒーローさ
「劇場を3千人の人々が取り囲んでいた。彼らは映画を観ようとドアを突き破ろうとしたんだな。劇場は工場用の金属フェンスで囲まれていたんだが、公開の翌日に我々が行ってみると、フェンスは地面にぺしゃんこになってたよ」(ペリー・ヘンツェル、98年)
映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』がキングストンで公開された時の様子である。
『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』は、ジャマイカで初めて自国の姿を描いた作品だった。
ヘンツェル監督はこの映画を「ジャマイカと、いたるところにあるスラムの住人のために作った」と語っている。読み書きのできない、カリブやブラジル、アフリカなどの人たちのために、とも言う(ヘンツェルは、カリブ海生まれのオランダ系白人)。
キングストンの劇場には、そんな人々が押しかけたようである。
しかしメディアの前評判はさっぱりだった。ジャマイカの姿、ジャマイカ音楽なんぞに何の価値があるのだ、と思われていた時代だった。ジャマイカでの公開は先の一館のみであり、欧米での受け入れもすこぶる悪かった。
「言葉(口コミ)だけが旅をしたようなもんだろう。新聞もまったくサポートしてくれなかったし、だれ一人として映画に期待などしていなかった」
そんな映画が、しだいに世界的にカルト的(熱狂的)な支持を得てゆくのである。
日本では70年代末ごろから、今でいうミニ・シアターや大学祭での呼び物として全国で上映された。その衝撃、あるいは当惑。なにしろさっぱり英語(ジャマイカン・パトワ)が聞き取れない。