『コフィン・フォー・ヘッド・オブ・ステート/アンノウン・ソルジャー』
フェラ・クティがナイジェリアの国家権力から危険分子として敵視され出したのは1970年代の半ば頃だった。マリワナの不法所持や、年端もいかない娘たちをたぶらかしているといった容疑で警察に踏み込まれ、フェラやその仲間たちに「不幸」が降りかかり始める。
そして77年、彼のコミューン、カラクタ・リパブリックが千余の兵士によって襲撃を受ける。カラクタに住まいしていた女性たちの多くがレイプされ、男たちは重傷を負い、家は焼き払われた。フェラの母、この人は
アフリカにおける女性解放運動の先駆者だが、彼女も兵士によって窓から外へ投げ捨てられた。母はそのために足と腰に大ケガを負い、それが原因で亡くなる。
本アルバムは、その母、オルフンミラヨ・アニクラポ・クティに捧げられた…というよりも彼女がいかにして殺されたかをドキュメントし、その背後にある国家権力・支配宗教の腐敗と暴力を描き上げた2曲が収録されている。
「コフィン…」は1980年の、「アンノウン…」は1979年の作品である。前者は22分強、後者は31分強もあるが、長いとはまるで感じない。それよりも、フェラの「覚悟」がひしひしと胸に迫り、同時にバンドが奏でる豊かなリズムの中で呆けたようになっている自分を発見する。彼は殺されることを覚悟して歌っている、その迫力。フェラの絶唱を頂点とする「アンノウン…」の後半の盛り上がりには、言葉を失う。
アルバム・タイトルとなった「コフィン…」とは、当時の国家元首であった「オバサンジョ大統領へ届けられた母の棺」という意味である。フェラとその仲間たちは、79年の独立記念日の前夜、オバサンジョの邸宅に棺(フェイクの)を届けた。ジャケットにはその時のデモの様子がコラージュされている。
(藤田正)
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フェラ・クティ](プレス・キットから)
1938年ナイジェリア生まれ。1997年没。
アフリカ音楽、ロック、ジャズ、ソウルなどを融合し、世界中にファンを持つアフ・ビートの創設者。また音楽だけではなく、ナイジェリアの下層階級(もしくは
アフリカ全般)のために闘うアーティストして、レゲエのボブ・マーリーとともに世界中で尊敬されている。97年、彼が死去した後も、
フェラ・クティの音楽は息子のフェミ・クティのバンドにより受け継がれ生き続けており、日本でもレベル・ミュージック、クラブ・ミュージックとして絶大な支持をうけている。
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