三下ギャングに叩き込んだ兄の小気味よいパンチ。それが闇の均衡を破る発端だった。
徹底して無口な兄は、徹底して冷酷に銃を撃ち、仲間と共に敵を殺し、つぎつぎとシマを拡大する。
暴力でつかんだ権力とカネ。しかし当然のように、彼らはさらに大きな権力の怒りを買う。そしてついには、死を恐れぬ小さな暴力集団が、闇の権力によって蜂の巣にされる。
このような大筋の中でキーワードとなるのが、「ブラザー」である。
「ブラザー」とは、ふつう血を分けた兄・弟、親友、教会の信者仲間などを指す。もちろん、無頼の徒にとっての「きょうだい」もその意味の中にある。映画『BROTHER』は、これらの多くの意味あいをミックスさせながら結末へと進んで行く物語だった。
ヤクザの指詰めや、ハラワタが飛び出す腹切りなど、世界のマーケットを強く意識しているであろう極東のエキゾチシズムは、相当に強烈に描かれ、エクスキューズも何もなく人が殺されていく北野映画の特色は、今回の作品が最も際立っていると言える。
この血なまぐささに、「きょうだい」が絡みつく。
兄貴(
ビートたけし)のためには、さらりと命を放り投げることすら厭(いと)わない舎弟の加藤(寺島進)を筆頭として、ギリギリの線上を生きる男たちのヒロイズム、義侠心、あるいはホモセクシュアルな色合いは、映画が後半へ進むにしたがい、一人を残し死に向かって突っ走る「ブラザーたち」の肩越しに、妖しく哀しく光を放ちはじめるのである。