ジャマイカ社会の暗部を描いた衝撃的なルポ、『ボーン・フィ・デッド』が、静かな話題を呼んでいる。
この日本語版、森本幸代という一人のレゲエ好きの女性と、著者であるL.ガンストとの直接的な交流によって生まれたもので、一般の書店ルートでは買うことのできないプライベート・ブックである。不振が続く日本の出版業界にあって、この本もその波にもまれた一冊だったが、彼女が自費を投じて刊行してからというもの、ウワサが噂を呼び各方面から賞賛を得るようになった。
Beats21では、発行者である森本さんに依頼し、この日本語版がいかにして誕生したかを原稿にしてもらった。
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『ボーン・フィ・デッド』の発売から1ヶ月が経ちました。まだまだ落ち着かない日々ですが、こんなにも一冊の本をめぐって毎日変化があるのは、とてもうれしいことです。
もともと本を読む習慣もなかった自分が、あるレコード屋店主に、「知り合いの出した本」と言って貸してもらった『レゲエ・トレイン』(鈴木慎一郎、青土社、2000年)。その中に参考文献としてあげられていた『ボーン・フィ・デッド』のオリジナルを注文したことが、すべてのはじまりでした。本を読んで内容に衝撃を受けたのはもちろんのこと、わたしにとって一番印象的だったのは、筆者の感情を抑えた語り口です。ジャマイカのことが好きで島に渡った人が、本に書かれているような事実を目の当たりにし、それを体験しない者に語るという作業は、どんなに苦しかっただろうと思いました。そして気がつけば「これを日本語にしたらみんな読めるな」。ただそれだけの思いで、翌朝から日本語訳をノートに書きはじめました。そしてそれをパソコンに入力し、プリントアウトしてやっと、訳を仲間内だけでまわし読みしても著者の人に悪いということに気づいたのです。それが日本語訳の出版ということを考えるきっかけでした。
しかし本を出版するとなると、書かれている内容の裏をとる必要があります。わたしは『ボーン・フィ・デッド』について書いていた『レゲエ・トレイン』の著者で、文化人類学者でもある鈴木慎一郎氏にコンタクトをとり、原稿を見てもらうことにしました。同時に、じぶんでも書かれていることを確かめる必要があります。どこのダンスにも顔を出しているレゲエの姉ちゃんが、一転専門書を読むことに明け暮れるオタクへと変身。各分野の専門家にも原稿を送って、内容の確認をしてもらいました。そうしてやっと本に書かれていることが自信を持って事実だと言えるようになってから、出版社をまわりはじめたのです。
しかし本を出してくれるところは決まりませんでした。最初から「こういう本は売れないから」とはっきり言ってくれるところはまだよく、一番困るのが「会議にかけるからもう少し待って」と言いつつ1年近く返事を引き延ばすところです。今なら何度か催促しても、はっきりしたことを言ってくれないところはダメだとわかります。でもその頃は「ダメだ」と言われることが"ノー"で、それ以外の返事には可能性があると思っていました。
しかし徐々に焦りを感じはじめます。わたしはこの本を訳してすぐ、著者のガンストさんに「じぶんはこの本を日本語で出そうと思う」と手紙に書いて送ってしまっていたのです。ああいう本を書いた人なので当然居場所はわからず、オリジナルの出版社宛に送った手紙ではありました。でももしガンストさんが手紙を読んでいたら、思い込みの激しい読者が、またバカなことを書いていると思われる! 出版のいろはもわからず、誰に何を聞いていいかもわからないまま、迷走はつづきました。
そんなある日、ガンストさんに手紙を出してから1年以上経って、本人から返事が届いたのです。それはもう夢のようでした。こうして日本のクレイジーな読者と、身を挺してジャマイカの裏社会を描いたアメリカの研究者はメールでやりとりをはじめます。しかしわたしたちの間で『ボーン・フィ・デッド』に触れないことは暗黙の了解でした。
そうしてまた2年が経過。そのころになると、わたしの中でこの本を出版するのは無理だという思いが芽生えはじめていました。訳は出版社に持ち込むたびに直し、企画書も書き直す。なのにうまくいかない。半ばヤケクソになって、ジャマイカに行く途中、アメリカのガンストさんに会って現状を伝えることにしました。ガンストさんと直接会うのは、その時が初めてでした。
いくらメールでやり取りしていても、ガンストさんは実際会うことに抵抗があったようです。本の内容が内容だけに、警戒して当然。相手の連絡先も知らないまま、ドタキャンされても仕方ないと思いつつわたしはNYへ。いつ、どこで会うかはガンストさんから連絡が入ることになっていました。
そして約束の日、朝からわたしは落ち着きません。本当にガンストさんから電話はかかってくるのか、いつかかってくるのかさえわからないのです。しかしフタを開けてみればそんな心配は無用でした。朝9時ごろ彼女は電話をくれ、じぶんの住所を告げます。どうやら自宅で会うようでした。
ガンストさんの自宅につくと、彼女はいきなり自分の生い立ちから今に至るまでを、こちらがびっくりするぐらい赤裸々に話し始めたのです。ついつい『ボーン・フィ・デッド』を日本で出版するのは、少なくともわたしには無理だと言いそびれていました。そしておいとまする時間が近づいてやっと、勇気をふりしぼって日本語訳の下書きをビニール袋から取り出し、「ごめんなさい…」とだけわたし。するとガンストさんは最初からすべてを察していたようで、「悔しいんでしょう」とだけ言いました。わたしは無言。涙をこらえるのに必死でした。「わたしもその本を出版するまでにね、ものすごく苦労したのよ。」
それからガンストさんはわたしを書斎に連れて行き、トレバー・フィリップスと一緒に撮った写真を見せてくれました。『スモール・アックス』という雑誌に収録されている、「トレバーに捧げる鎮魂歌」という文章にでてくる写真です。わたしは思わずせきを切ったように泣き出し、ガンストさんは次に出版を控えていた『オフ・ホワイト』の下書きにメッセージを書き込んでわたしにプレゼントしてくれました。また再会することを約束して。
日本に帰ってからのわたしは、もう少し『ボーン・フィ・デッド』を持って回ってみようと、心新たに営業を続けました。でもやっぱり返事はどこも同じ。「そういう本は売れない。今の人は本自体を読まないから」とはっきり言われる回数が増えただけでした。
すでに『ボーン・フィ・デッド』を初めて読んだときから5年が経過しており、わたしは徐々にじぶんで出版するしかない状況に追い込まれていきました。まわりには「そんなバカなことをして苦労するのはじぶんだ」、と親切に警告してくれる人もいました。でももう出版するしかない。その思いだけでアメリカのエージェントと話をつけ、それから日本の版権エージェントを通してマイティ・ミュールズからこの本を出版したのです。
正直、わたしもこの本に興味を持ってくれる人はそういないだろうと思いながら編集作業をしました。しかしそれは、この本の出版を断った会社の刷り込みで、実際は違いました。ほんとうに多くの方々が(それは世の中全体からみればすずめの涙にも満たないのかもしれませんが)この本を通じて連絡をくださり、徐々に応援してくださる方の数が増えているのです。口コミで本のことを宣伝してくださる方、本を取り扱ってもいいよと連絡くださる方。本が出るまでも、出てからも、非常にたくさんの方にご協力いただいています。そして著者ガンストさんは、最後まで「お金はいらないから」と言ってくださった方であることを記しておきます。ガンストさん個人の大切な写真を、日本語版のために寄贈してくださったことも忘れてはいけません。本の著者プロフィールに使用している写真は、ガンストさんがNYでわたしに見せてくれた、貴重な写真です。
まさか偶然出会った本をじぶんが翻訳し、出版するなんて、想像すらしませんでした。でもこうなることが運命だったのかな、とは思います。
今日本語になった『ボーン・フィ・デッド』を読んでくださった方が、わざわざ感想を送ってくださったり、「お金じゃないんだよ!」といってご協力くださることに、不思議な縁を感じます。ジャマイカに導かれたガンストさんからわたしにバトンがわたり、それが他の人にも渡された、そんな感じがします。こうしてどんどんバトンはより多くの人へと渡っていくのかもしれません。
文・森本幸代
(2006年8月)
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『レゲエ・トレイン―ディアスポラの響き』(鈴木慎一郎著)