注目のアイヌ・ミュージシャン、オキ
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 樺太アイヌの弦楽器「トンコリ」のプレイヤー、オキ(OKI)。
 伝統的なアイヌ音楽を土台にして新しい地平を切り開こうとしているミュージシャンとして、オキは唯一の存在かも知れない。
 2001年に話題になった安東ウメ子のアルバム『イフンケ』(オキのプロデュース作品)に続き2002年6月2日に発売されるのが、彼にとって3枚目の作品『ノーワンズ・ランド』(チカル・スタジオ)だ。
 オキに彼の経歴、アイヌ音楽のこと、その背景にあるアイヌ文化について聞いた。
 聞き手、藤田正(Beats21)。2002年5月28日、東京・神楽坂「茶房 香夢居」で。
 
■ミュージシャンになる前は映画の特殊技術者
----生まれは神奈川、本土ですか。
 そうですね。俺は「ダブル」で、母親が日本人で父親がアイヌ人なんです。
----ニューヨークやジャマイカへ行ったりと、これまでいろいろと旅をしていたとか。
 音楽をやるようになるまでに、いろんな所へ行きましたね。彫刻家を目指していたんだけど、日本で行き詰まってしまって。それでニューヨークへ行ったんです。
 自分がアイヌだってことで気持ちにひっかかりがあって…これは、サラリーマンのような仕事だったら違うのかも知れないけど、アーティストとしてはどうしても自分を裸にして自分自身と向き合わなければならないでしょ。そうすると「アイヌ」がひっかかってくる。20代の時は、それがぜんぜん(どうしていいのか)わからなかった。
----海外でいろいろな経験をした。
 アメリカに行って、テレビCMや映画なんかの特殊撮影の仕事もやってました。コンピュータ・グラフィックとアナログが入れ替わる時期です。
 例えば、ある日、俺が働いていたスタジオにダグラス・トランブルが来たこともあります。彼はキューブリックの『2001年宇宙の旅』の特撮監督やった人で、そのトランブルがハイビジョンで撮影するための下請けを俺たちがやることになって、色々とレクチャーを受けました。彼はバーチャル・リアリティの草分けですから、もうすでにその時から、近い将来はテレビを観る人それぞれが物語を変えることができるようになるとか、ゲームはどこまで進むとか、90年代の初め頃に今の現実をちゃんと予測してましたね。
 俺はそういうふうに世の中が変わっていく中で、アナログの居場所を探していたんです。
 だたそんな時に、友だちに誘われてスカイ・ダイビングをやったのは大きかった。
 飛行機から飛び降りたら、かなりパニクってキリモミ状態で落ちていったのね。モヤにかすむ緑の木々がどんどん目の前に迫ってきた。俺はこの時の体験で、それまで自分が仕事でやっていたバーチャル・リアリティだの何だのが全部吹っ飛んでしまった。馬鹿バカしいなと。
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 アメリカでは色々とありましたよ。アイヌなんか嫌だと思っていたのに、友だちになったのがアメリカン・インディアンだったりして。それでそいつの住んでいる場所へ訪ねて行ったら「ここはアメリカかよ」と思うような場所だった。電気、水道がないんだもん。でも彼らはOKという生活をしてる。
 しかもその場所は、FBIがいつも監視している地域なのね。アメリカ政府が鉱物資源が眠るインディアンの土地を狙ってるわけ。地上げ屋が「USA」なんだから。
 普通のおばあちゃんが、羊を追って地上げがかかった土地へ入って逮捕されたりとか。ひどいヤラセですよ。
 そうかと思えば、知り合った若いインディアンは、いつもはマリファナ吸っているような奴だったけど、ビッグ・マウンテンという特別の場所で他人に見られることなく祈ってるし。ああ、こういう人でもやる時はやるんだな、なんて思った。
----世の中の矛盾をアメリカで見てしまった。
 例えば80年代終わりのニューヨークすごい退廃してましたね。それまでの社会のシワ寄せが全部、街に溢れいて、ジャンキーと全財産20ドルしか持っていない俺との差って、ぜんぜんなかった。今、日本のガキどもが「ストリート」って騒いでるけど、そんなんじゃないからね。ストリートの段差って、本当は「ガケっぷち」なんだから。
----オキさんには、心も肉体もさ迷っていた時期があった、と。
 そうだね、精神的にもフラフラしてたんですよ。アーティストとして挫折したんです。今はちょっと違うけど、ニューヨークの現代美術なんて金持ちの道楽だから。俗物のスノビズムの匂いがプンプンしてて、俺、どこにも居場所がないなって思ってました。
 ニューヨークでアメリカ人と結婚して、これでも大失敗してさ。
 でもどこへ行っても、道を照らしてくれる案内人がいたのね。それがボブ・マーリーだった。
----まだ音楽をやっていない時期。いつ変化が起きたんですか?
 湾岸戦争の頃、それはダグラス・トランブルと一緒にやってた頃ですけど、俺は会社で20人くらいの頭(あたま)もやってました。けっこう真面目に仕事をしてたんですよ。そうこうしているうちに、日本から映画のアート・ディレクターとして雇いたいと連絡が入って、この話にダマされたのね。俺はやる気で日本へ帰ってきたのに、会社がコケちゃって、それでまた一からやりなおし。アメリカでいくらやってきても、名刺が溜まるだけでね。バブルが弾けた時ですよ。それで、姫田映像研究所(姫田忠義/民族文化映像研究所)というコアなドキュメントを作っている所があって、そこで撮影を手伝っている時、フト、俺って撮影するほうじゃないと思った。俺は演じる、プレイする人だなと思ったわけです。
 そんな時に、北海道の親戚の家でトンコリをもらったんです(93年)。
喜納昌吉とか沖縄の人がやっているんだから、お前も何かこれでやってみろ」と。
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 だけど楽器を見たら、ひどい代物でね。インドの物産展に行けば飾ってあるような安物のシタールみたいな。でもそれをヒマがあれば弾いてました。ただ、まさか自分がミュージシャンになるとは思ってはいなかった。
----しかし、だんだんと音楽の道へ。
 友だちに4トラックのレコーダーを借りてトンコリの音を録音してたら、「なんだ俺は、曲が作れるじゃん」ってわかった。それが34歳くらい。遅いですよね。俺は(音楽を本格的にやり始めて)10年たってないんですよ。今、45歳ですから。
 
■俺こそがオリジナルのアイヌの手法でやっている
----トンコリって、各地にいるどのアイヌの人も使う楽器ではないそうですね。
 そうです。樺太のアイヌの弦楽器です。俺なりに説明させてもらうと、アイヌ民族っていうものは、いないんですよ。語弊のある言い方かも知れないけど、あるのは、コミュニティ単位で集まっている人たち。それぞれが微妙に違いを持ちながら生きてきた。言葉もそうです。埼玉と福島だと同じ日本語だと言っても違うでしょ。同じアイヌに関連深い土地といっても、樺太と白老(しらおい)とでは気候も地理も違う。
 アイヌは広い場所を行き来してきたんですね。たとえばカムチャツカ半島は北海道から近そうだけど、地図上で札幌からコンパスであの半島まで計って、これをぐるっと反対側に回すと種子島に届く。それほどの広い地域で、アイヌは交易をしていた。経済活動をしていたからこそ、トンコリの原型になる楽器が樺太に入ってきたんです。
 樺太のアイヌが北海道のアイヌと違うのは、日本の影響が少なくて、むしろニブヒ、ウィルタといった人たちと関連が深い。ぼくの先祖も大陸系の血筋です。
 樺太アイヌの文化というのは、服のデザインにしても彫刻にしても凄く洗練されているんです。色んなものを集めてきた時のアレンジの才能、それにとても長けている。最初はパクリなんだけど、それが自分たちの感覚を通した時に、アイヌらしい個性が滲み出てくる。いろんな文化を混ぜ合わせ、そこから自分らしい個性を滲み出させることができる。
 俺の音楽も同じです。俺は、今のアイヌの中では例外なんですよ。すごく浮いている。やってる音楽も現代風だから、よく「どうやって(伝統的な音楽を変化させ)アレンジをしているんですか?」と聞かれるんだけど、俺は「俺こそがオリジナルなアイヌなんだ」と言いたいわけです。
 なぜなら「交易」だからです。ギターや色んな楽器を使っているのは、現代のアイヌが交易をやっている作業なんです。もちろん俺はアイヌ語は喋れないし、熊も獲れないけど、アイヌらしい交易はできる。レゲエでもサンバでも、アイヌの中に混ざったらこうなるんだ、ということをやっている。俺の音楽こそが「超伝統的な手法」にのっとってやっている。
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 俺がやっている「交易の姿勢」を知ってほしいんですよ。きっとちょっとづつ、みんなが気づいてくれると思うんだけどね。
 今、アイヌを語る時に、かなりステレオタイプな「アイヌ像」がまかり通っているんですね。研究者とか、アイヌ以外の人がアイヌを定義して「アイヌはこうあるべきだ」という。ある意味で「アイヌ原理主義者」って日本人に多いん。そこからアイヌが影響を受けることによって、歴史的に「閉じたアイヌ文化」が出来あがっていったわけです。
 例をあげれば、これからはアイヌではなく君たち「アイヌ系住民」であると言われてね。確かにアイヌの老人とかは生きていて、アイヌ語も残ってはいるけれども、若い諸君は日本の国民として教育を受け1人前になってほしい。あとは俺たちがやるから、任せておけ…。
 こんなふうに、土地を取り上げたあとは、アイヌの文化を取り上げていった。
----トンコリというのは、今一般に我々が知っている楽器とどこが違うんですか?
 縄文時代の音って何だったんだろうと考えた時、きっと楽器はなかっただろうと。もしかしたらあったかも知れないけど、中心は手拍子のようなもの。手拍子だとすれば、輪になって踊っただろうなと。
 アイヌの音楽っていうのは、こういうような古い縄文のスタイルを残した音楽です。短いフレーズの繰り返しをどんどん変化させていく。一つの完結した歌というよりも、始まりも終わりもない。それが縄文の音楽の形だろうと想像するんです。そこにルーツがあるんだろうと思います。
----3分の中に起承転結の要素がきちんと詰め込まれたような音楽とは正反対のもの。
 トンコリというのは、調弦にしても5万種類ぐらいあります。要するに「ドレミファ」じゃないから、毎回、その時のピッチも変わるし、同じ曲でも弾く人が違うと全然リズムが違ってくる。同じ人でも、昔と今とでは違ったりする。
 トンコリの弦というのは、昔はシカのアキレス腱なんかを使っていました。それを石で叩くと絡んだ繊維状になるんですが、それを撚(よ)ってつなげて1本にしたんですね。
 この弦を張ったトンコリなんて倍音だらけで、チューニング・メーターでは計れない。
----どの音が基調になっているかが、まるでわからない。
 ということは、どの音でも合うということです。だから「調弦は適当でいいんです」なんて俺が言うと、インタビュワーは「こいつ、インチキ臭い奴だな」なんて顔してますよ。でも、これホントですから。
 トンコリの基本としてあるのは、リズムの組み合わせなんですよ。トンコリの上手い人というのは、テーマになる演奏方法があって、それに対して「イカイ」を入れるという言い方をします。主のリズムに対しての変奏です。少しづつリズムを変えていくのが上手な人。ということは多彩なリズムの引き出しを持っている人が上手い人ということ。レゲエのベース奏者と同じですよ。
----トンコリはリズムなんですね。
 リズムです。
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■アイヌ問題は世界のバビロン・システムにつながる
----トンコリは独学ですか。
 最初は自分のルーツをテーマにして、勝手に曲を作ってましたね。トンコリは持ってたけど、それまでの自分の軸足を動かそうとしなかった時期がありました。
 でも、このまま独学で続けていくとちょっとズレてしまいそうな気がしていた所に、静内町の葛野辰次郎(くずの・たつじろう/2002年3月に91歳で死去)さんを知ったんです。葛野さんの、神様に対する祈りの言葉というのが本に載っていて、その朗読テープを買ったら、めっちゃくちゃいい感じで、すげぇリラックスしてる声だった。俺もじいちゃんのアイヌの語りを耳でコピーし始めたというわけです。
 で、この人に会いたいと。結局、弟子入りするようになって1年くらい居候してました。
 葛野エカシ(長老)からはトンコリは教わっていないんですが、彼から昔の匂い、感覚、さまざまなことを学びました。葛野エカシのことを一般にはアイヌの文化の伝承者とか言ってるけど、そんなバカなことないわけで、彼は哲学者、スピリチュアル・リーダーなんですよ。
 でもトンコリは…アイヌでトンコリ弾ける人に出会ってないよ。いるのかな?
 だから淋しいんです。俺は日本人には自分たちの文化のことは教わりたくねぇよ、ってのがあって…俺が嫌なのは、アイヌの文化を勉強しようと思っても、アイヌ語べらべらの講師というのが日本人の先生なのね。もちろんいい先生もいるんです。ただアイヌが日本人の先生にアイヌのことを教わって「先生、先生」と言っている姿を見ると、俺はグレるよ。
 俺は「この野郎!」と言って別の道を行くけど、我慢して勉強して地道にやっているアイヌの若い子たちがいることも確かです。「ファッキン・アカデミズム」と俺は言うんだけどね。
 今のアイヌって、生まれたら近所にコンビニがあって、山を崩してダムを造ってその公共工事で生きている。これってアイヌ問題であるより先に、日本全体の問題でしょ。アイヌ民族運動の矛盾点です。
 そしてこういうことは世界中にある問題なんですよ。レゲエで言う「バビロン・システム」じゃないですか。昨年のワールド・トレード・センターの事件(米・同時多発テロ)の根本にあるもの。ボブ・マーリーが「バビロン・マスト・フォール」と言ったでしょ。
 俺の音楽作りには、こういうことも背景にありますね。
(おわり)

( 2002/05/29 )

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注目のアイヌ・ミュージシャン、オキ
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