「誠仁師 in 東京」
六月二〇日(日)
金城みゆき、
仲宗根創らを引き連れての
登川誠仁、ソロ・コンサートだった。
舞台に接しての第一印象。誠仁先生、ほんとうに元気。
病院との付き合いは切れることはないが、血色もいい。楽屋でも何度もこの話になったけれども、並みはずれて生きるエネルギーを持ちあわせている人なのだろう。
舞台を見ての二つ目。登川流の基本は、強く、強く、さらに強く、生のエネルギーをその歌と三線に込めよであるが、コンサートは、このポリシーが徹底して貫かれていた。弦も切れよとばかりの「三線ひきちぎり殺法」の醍醐味は沖縄音楽において
登川誠仁師を筆頭とする同流派しか体験することはできない。
三つ目。自由度の高さ。沖縄の歌と舞いは心の赴くままに…この姿勢を「好き勝手に」やっているように見せることができる。弾ける。歌うことができる。そう、「二」と、この「三」を組み合わせて考えたとき、それはロックンロールやソウル、ジャズの起点とまるで同じであることに気づく。
登川誠仁師がやっている音楽は「民謡」じゃないのね。
四つ目。だからかっこいい。なまめかしい。あの、舞台最後に一人で踊り出したその姿に漂うイナセは、タダモノじゃない証拠だ。歌詞を間違えようが、曲順を忘れようが、それがすべて「
登川誠仁の芸」として収斂する。
舞台が終わっての…誠仁先生の弁。「東京でこれだけやれたのは、初めてのこと」
そうだと思う。
まだ死ぬわけにはいかない。病と闘いながら、愛する唄三線の心を胸に沖縄音楽の真の最高峰は今朝、弟子達を伴い、あの島へとご帰還なされた。