「調子笛」
十二年二十日(木)
コザの
秀子さんから調子笛をゲットしてきた。調子笛は、チンダミ(調弦)に必要なのだ。でもぼくは、以前、そんなもんいらんと堂々と言い放っていたのだ、けれど、やっぱりいるね。シロートはだからイカん。だからよ、一番太いうーぢる(男弦)でも、一番細いみーぢる(女弦)でも、どっちでもいいのだけど、正確な音をすかさずチェックするにはチューニング・メーターとか、この笛がいるの。そこでまた新発見があった。というのも、ぼくはこれまで山里ユキ先生のある曲のチューニングにならっていたのだけれど、それはヤマトの三味線の本調子(A、D、A)だということが、いま初めてわかったのだ。三線の本調子(C、F、C)だとぼくには高すぎてぜんぜん歌えなくて、でも勝手にチンダミを変えるのってシロートとして邪道なのかしら? などとも思ってもいたから、ヤマトの本調子だと知って、(理由になっているかどうかわからないが)少し安心したのである。
少し、気持ちよく歌えるようになった。
コザの三線店で会った
秀子さんは、ぼくの練習ぶりをこの「蛇に三線」を読んで日々チェックしておられるようで、お母さんの澄子さんと一緒になって、ここで歌いなさいよ、と言う。でもそれは無理ってものだな。ヤマトから来る人の中には、**なワザしかないくせに、胸を張って島の歌を歌ってみせる**者がいるそうだけど、ぼくにはできない。だって
コザも、照屋林助三線店も、ぼくには聖地だもの。次回にしましょう! といって逃げた。
秀子さんが、シカゴからやってきた山里ユキさんを師と仰ぐという人物のデジカメ映像を見せてくれた。彼は、この三線店で島唄をちょろりとやっているのだが、ウマイ! センスいい! う〜ん、海外にもぼくのライバルがいるのかよ〜。
「ちむぐくる」
十二年二十一日(金)
ここしばらく「にんべんのついた健築家」と称する建築家、
関原宏昭さんと連絡を取り合っている。今も電話を切り終えたばかり。関原さんとは、毎日新聞のベテラン・カメラマン、伊藤俊文さん、それに照屋
林房と一緒に渋谷でただただ飲んだだけの始まりだったのだが、今も性的な関係を抜きにしたクリーンなお付き合いが続いているのだ。
みんなで飲んだ渋谷の駅前のチンケな飲み屋ってのがぼくには懐かしくて、
林房が(渋谷も知らないくせに)「ここに来い!」というから出かけたその場所というのが、ぼくが学生時代に朝まで働いていた酒場、まさにその場所だったのだ。もちろんかつての酒場は今はなく、ただただフツーの居酒屋に変ってはいたのだが、ぼくはここで「アンダーグラウンド」の実際を知ったのだ。殺し合いも目の前で見たし、女の人が売られてゆくその瞬間も目の前で見たし、プロがやるオドシとはいかにするのかということも目の前で見た。拳銃はもちろん、ヤクザのすっごい出入りも見たし、指の落とし方の、千差万別(?)も知り、どーんなに痛いのかも、その男たち(ごくまれに女も!)の、血走った目&真っ赤に染まった包帯ぐるぐる巻きで、知りえた……当時のぼくはアンダーグラウンドな場にいたけれども、アンダーグラウンドな人間になれなかったのは、結局のところ暗黒街を客観視することしかできない人間だったからだろう。映画で見るアンダーグラウンドは魅力的だが、「現場」の殺伐は、文字どおり地獄、阿鼻叫喚。よくあんな世界で生きていられるものだと、友人とともに、毎日、明け方、ぼろぼろに疲れ果てながら語りあい帰ったものだった……その場所に、
コザからやってきた照屋
林房がぼくを呼んで、そこに同席していたのが沖縄大好きの伊藤カメラマンであり、関原さんたちだったのだ。話が弾みますわな、それは。そして(まだ夕方だというのに)酒は、さらにさらにとすすみ「また今日も酩酊状態になっちゃった!」という時だっただろうか、本日ここに集まったワシらは「肝心ブラザーズ&シスターズ」じゃ! という宣言が行なわれたのだった。
(肝心=ちむぐぐる、って、ぼくも著書にたまにそう書き入れることがあるけど、「ハート&ソウル」という意味。黒人音楽の同じセンスの言葉ですわ)
で、そこから始まり、我ら「肝心きょうだい」たちは、きょうも
コザをふらふら、渋谷あたりをふらふらしている次第なのだ。