「孝行イモ」
十二月一日(土)〜二日(日)
土曜日に対馬へ出かけて、いま帰ってきた…といっても私は博多の旅籠にいる。対馬はとても広い島で、だから島という実感はなく、これは「邦(くに)」であって、対馬でネット用のモバイル、使えるんかなーと心配していたのだが、やっぱり島の上(かみ)の宿泊先でアクセスしても交信はできなかった。これでいいのだ。ついついどこででも「中央」とすぐに言葉(情報)が結べると思っているほうが異常なのであって、その対馬北部の漁港の「ナニゲのなさ」はまったくもっていい感じだった。
対馬は朝鮮半島とも(今でも)相当に付き合いの深い場所で、しかも、絶滅危惧種のツシマヤマネコもいる。私は、迎えに来てくれた扇(おうぎ)さんほか島のスタッフのおかげでナマのツシマヤマネコを見ることができて、とても嬉しかった。
そしてそのとき、扇さんがサツマイモの話をしたのだった。サツマイモは、ヨーロッパにおけるジャガイモと同じように、
沖縄を救った命の食物なのだけれど、伝えるところによれば輸出厳禁のイモ(甘藷)を、薩摩によるファックな圧制にあえいでいた
沖縄を救うために野国總管(のぐに・そうかん)が、その禁制をおかしてイモツルを密かに
沖縄に持ち込んだ。おかげで
沖縄の人たちはなんとか生きながらえたわけで、そうかんさんは、今でも島の大恩人として名護でお祭りが行なわれている(二〇〇五年は甘藷伝来四〇〇年祭でした)。そして、この甘藷という島の命綱を薩摩のサムレーたちは地元へ持って帰って、勝手に「サツマのイモ」という名前に替えたのさ。だから甘藷は北上して名前が変ったのだが、ここ対馬にも甘藷は伝わって……でも、この対馬では「ツシマイモ」とは言わずに「孝行イモ」と(今でも)言うのだそうだ。
親子みんなを救ってくれたから「孝行」なの。「薩摩のイモ」なんぞといわずに「孝行イモ」と銘々するところが対馬の邦の人たちの根本的な人がらがわかる。