「竹田の筑紫さん」
一一月一四日(金)
「縁」を感じる時ってあるものだ。
一昨日の一二日が、私にとってまさにその日だった。
この日は大分県の竹田市に呼ばれて「
竹田の子守唄」について講演をした。
私は五年前に『
竹田の子守唄 名曲に隠された真実』を書いて、以後いろいろな所でお話をさせてもらったが、竹田市はまだ出かけたことのない重要な場所だった。その竹田に、ついにお邪魔したのである。
というのも……「たけだ」の子守唄は、京都・伏見の竹田にある被差別部落を出身とする。ところが大分県の「たけた」は、瀧廉太郎の「荒城の月」で知られる全国でも有名な歌のマチである。がゆえに、今でも「たけだのこもりうた」は、ここ豊後地方の「たけた」で生まれたと思い違いをしている人がたくさんいる……というわけなのだ。
ストリートから生まれた近代ニッポンの名曲中の名曲が「
竹田の子守唄」。
他方、瀧廉太郎は近代ニッポンの教育の出発点を象徴する天才的なソングライター。同じ時代の名歌(元唄)であり大人物が、「竹田」という言葉で結ばれている。
これが「縁」の一つ目。「荒城の月」を作曲する原点となったされる岡城阯(まさに名城である)を見学し、そのあと瀧廉太郎記念館へ。するとその玄関に、先日亡くなった
筑紫哲也さんの写真があった。
照屋林助さんとの対談本『沖縄がすべて』を企画編集させてもらったこともあり、また週刊金曜日で小さな連載をやらせてもらっていることもあって、筑紫さんは私にとって単なる有名ジャーナリストではない。お世話になった方、沖縄文化の豊かさを教えてくれた先輩でもある。
その人が瀧廉太郎記念館の名誉館長さん。しかも彼は瀧廉太郎の妹のお孫さんでもある。記念館の玄関は追悼記帳所になっていたのだ。
「
竹田の子守唄」を竹田で語ったあと、筑紫さんが瀧の家で微笑みで迎えてくれているとは、なんとも感慨深いことだった。
瀧廉太郎記念館で(Beats21)
岡城阯の瀧廉太郎像(Beats21)
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