「おへんろ」
六月九日(水)
年配の人たちが多いライブだった。
古謝美佐子の東京公演である。古謝さんのファンにはお年寄りは多い。だがネーネーズを辞めてソロになった時の、その最初の東京ライブから見ているぼくにとって、今回は一番に観客の平均年齢が高かったように思う。一人で見て、そのあと、あまりの感動に次回のライブに両親も連れてきたという友人がいたから、こういう連鎖が何年もかけて広がっているのかもしれない。
古謝美佐子with
佐原一哉のライブを観て救われた、癒されたという人は相当数に上るはずだ。
それに間違いはないだろう。だが古謝さんの歌に、特に最近は「死への意識」が色濃く出ているように思う。癒される根拠に「死」が提示されている。6月5日、世田谷パブリックシアターでの今回のライブでぼくはさらに強く意識した。
真鍋俊照氏(仏教学者、大日寺住職)が語っているように、四国遍路はなにより「死出の旅」であって、だからこそその厳しい修行によって人は「生きている」「生かされている」ことが認識される。(最近の一傾向らしい)お遍路と称し四国の海や空を見て清々しく感じました、ではなくて、苦労して八十八のお寺さんをたずね繰り返し自己を突き詰めた結果として、解き放たれた精神が待っている(or その境地へ近づく)ということなのだろう。道半ばで本当に命を落としても、それは生きた確証なのだ。
古謝さんの歌もお遍路的精神性と、ぼくはどこか似通っているように思う、この認識という意味において。
たくさんの子や孫たちに囲まれて故郷・嘉手納町に生きること。鬼籍に入った両親や親戚たちへの追慕。これらは「童神」に代表される子守唄や「黒い雨」といった名歌・名唱を通して空へ昇華するのだが、そんな歌手としての「生」を衝き動かす原点が、お遍路の感動とは正反対の、沖縄の米軍支配という「恐怖の認識」にほかならない。
舞台での佐原・古謝のトーク・タイムで、当夜、古謝さんは「人種差別」という言葉を使った。この言葉は、多くの沖縄県民の鳩山前政権に対する共通認識として浮上してきたが、基地は県外とウソをつきまくって辞めていった鳩山に、沖縄〜ウチナーンチュは改めて貶(おとし)められた。嘉手納基地の爆音と共に暮らす古謝さんは、ここに自分たちの「生」と「死」をさらに強く考えざるを得なくなった。
古謝美佐子の子守唄は、今や癒しの歌というよりも闘いの歌と言いかえたほうが、いいのかも知れない。