「誠仁先生」
七月十七日(木)
誠仁先生、ごぶさたでした。
お酒が過ぎたり、内臓がおかしくなったり、はたまた腰が痛かったりと、かつては無敵を誇った
登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)先生も、近ごろはちょっとヤバいんじゃないの? という声が周囲から聞こえていた。先生は体調がすぐれないのに7月二十一日「
海の日、サンゴの日」の出演を快諾してくれて、私としては半分嬉しかったのだが、半分は心配だった。何しろ
嘉手苅林昌さんも
照屋林助さんも亡くなり、残るは誠仁先生ただ一人、の沖縄伝統歌謡の、今なのだ。知名定男さんや大城美佐子さんら素晴らしいシンガーはたくさんいるけど、戦後の土台を築いたのはこの三人。誠仁さんの健康状態はすなわち沖縄島唄のそれにつながることなのだ。そこで、
先生、どーっすか? 白内障も治ったんでしょ…。
……ってな感じで自宅で話を始めて、約九十分ノンストップ。先生はしゃべりにしゃべって、ずいぶんと意気軒昂なところを見せてくれた。白内障の手術をしたら、おそろしく目が良く見えるようになって、そのために光をさえぎるためのシャドウが入ったガンチョー(めがね)に変えたんだ、とか、白内障の心配ばかりしてたら長年の腰が痛みが知らないうちに消えていた! といったヤマイ系の話だけにとどまらず、昭和の時代に付き合った沖縄伝統歌謡の大物の思い出話から琉球古典音楽の秘密に至り……留まるところをしらない。最高! で、そこににじみ出ているのは、氏が大変な勉強家であるってことなんだよね。
誠仁さんは確かに酒での失敗は数知れずの人ではあるが、もう一方の先生を多くの人は認めようとしない。戦後、沖縄島唄の基盤整理をした人、その方のお名前が
登川誠仁、なのね。それだけでもすごいのに、今も猛烈にベンキョウしてる。
この年になって、ようやく死ぬのが恐くなったんだ、とニッコリした笑顔が良かった。私もね、年をとったら病気になるんだよね、あはは……だって。この言葉の中に、深い意味があるように思う。
沖縄の、海の日に、私が出るんだろ? だから今も沖縄の海のこことを考えていたよ。山の緑もね。この日は、ちゃんとやってあげるから。私が舞台に立ったら誰にも負けないんだから。
よっしゃ!