「園田青年団」
三月三十一日(月)〜四月三日(木)
「Save The Coral 2008」のために、忙しい。今回も打ち合わせのために、沖縄へ行ってきた。世のため人のため、なんてたいそうなことを考えいるわけではなくて、やろう、と思っただけのこと。邦楽の山木七重さんという若い先生(筝と三弦=三味線)からも協力の申し出があって驚いたけど、沖縄でも七月二十一日のフェスティバル(名護市・
万国津梁館)へ向かって少しずつモノゴトが動き出したように思う。沖縄県の持ち物である最高級のイベント施設を、なぜ私たちのような名もないチームに(全施設、無料で)貸し出してくれるのか…それを不思議に思っている人もいるようだけど、カネはないが、あるのは気持ちだけ、ということが肝心なんだと思います。ウチナーンチュとは気持ちだけで付き合ってきた。それに情熱で応じてくれるのがウチナーンチュのウチナーンチュたるゆえんであって、私はそれを信じているから、ばか忙しいことは確かだが、なんとかなるんじゃないか?と笑って酒を飲んでいるのだった。
林房と一緒にスバ(沖縄のソバ、です)を食べに行った。そこはコザ・宮里にある「なーざと家」(tel:098-938-9477)というむっちゃとウマい名店なんだが、ここのおやっさんがコザに行けばいつも一緒に飲んでいる人物と同じだとは、今回まで気づかなかった。もちろん、あっちだって私のことをカネがなくて
林房と一緒にいるヘンな呑み助としか思っていないはずで、確かにその通りだから、それでいいの沖縄は。それで、その満員の「なーざと家」でスバを食べていると、まぁこんがりと焼けた肌の活き活きオーラな男性が入ってきて私たちの席へ来たのだった。この人、園田(そんだ)の
エイサー・チームのボーカリストだと。あとで調べたら、かの久場政行さんじゃないの。そう、私の大好きなアルバム『園田
エイサー/園田青年団』(アジマァ)で、しっぶいストリート系&スウィング感抜群のノドを聴かせていた人で、おお! ついに会ったぞ! ってな感じ。夜にまた彼と会って、ばりばりに歌を聴かせてもらったのだ。隣りには
林房や真栄城雅子(「Save The Coral 2008」のデザイン担当)、そして「なーざと家」のおやっさんや、稲福克典さんがいて、またまたコザの夜は更けてゆくのだった。ちなみに稲福のカーツーは、りんけんバンドのフロントで一番に踊りがウマいアニキ。彼は園田青年団のOBであり、『園田
エイサー/園田青年団』のプロデュースをやった男である。
四月四日は、照屋林助師の誕生日。私がその前日に帰らなくてはならず、来年からは、本土とコザを結んできっちりとした「
テルリンの日」のイベントにしようじゃないのと、
林房と話し、那覇空港へ向かったのでした。
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『園田エイサー/園田青年団』
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万国津梁館のメイン、サミット・ホール。すっごい綺麗 |
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テルリン、たった一人のデモ。沖縄は迷子だとのプラカードを下げている (照屋林助三線店提供) |
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テルリン設計「どこでもライブ・ボックス」 (「照屋林助 テルリン展」提供) |