「かっちゃ」
五月二〇日(木)
5月15日は地元の祭りだった。週末の土曜日に好天という条件が重なって、お昼を過ぎた頃にはいつもは閑散としている街路から太鼓の響きに重なるように、はしゃぐ子どもたちの声が聞こえきた。
ぼくらはこの祭りを「かっちゃ」という。夜に大きな山車(曳山)をぶつけ合うのが一番の呼び物である。町の中心地区に幾千の観衆がひしめいて、(もともとは)源氏と平家に分かれた6騎の山車が天下御免の喧嘩をおこなう。激突の瞬間、ふたつの山車が強烈な負荷でゆがみ、整然と飾られた数百の提灯が待っていたとばかりいっせいに空へ跳ね上がる。十字路に、広場に歓声があがる。
昼の曳山(Beats21)
かつての血腥い事故事件を知る者にとっては今や穏やかなケンカ祭りだが、それでも港湾の町に培われた荒ぶる血の騒ぎを消すことはできない。付長手と呼ばれる山車の前後に長く突き出た太い樫木が、群集をかき分けるように「敵のヤマ」へ向かって突進してくる様は、かっちゃが人の命も賭けていた歴史性をいやがおうにも教える。ぼくらはその暴力性に陶然とする。
「ねぷた」も、かつて、ある地域では真剣を持ち斬りあったという。ニューオーリンズの
マルディグラも、黒人たちがこの祝祭を白人の手からもぎ取ったとき、その主役は銃を手にした対立する地元ギャング集団だった。京都など中央・支配層の威光を示す祭りが、大衆のものへと広がり移行したとき、そこにはなまなましい「生」と「死」の交換がむき出しになるように思える。支配者が主催する祭りが、神なり大いなる存在の代理人として、あるいは化身としての神々しさを象徴するかのように「しずしず」と「偉そうに」しているのと正反対に、港の町のかっちゃは、人は人であることを神に誓う。同じ祭りといっても、そこが違う。ちいさな町にこだまする「いやさー、いやさー」の掛け声、それは「いや更に、いや更に」という、人が生かされていることの有り難さを「みえざるもの」に向かって感謝する言の葉、すなわち呪文のようにも聞こえるのだった。
夜の曳山(Beats21)
五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた/2009年、
皇居前・皇位20年記念イベント/Beats21)
刈谷万燈祭の万燈(2009年、皇居前・皇位20年記念イ
ベント/Beats21)