四月二一日(火)
屋外でのフリー・コンサート。「
コザ・てるりん祭」って何かに似ていると思っていたのだけれど、ブラック・ミュージックでいうこれは「
ブロック・パーティ」なんですね。
ホワイト・ミュージックでも同じ言葉を使うかは、ぼくはそちら方面に興味がないので知らないけど、つまるところ都市の下町(inner city、そう
イナーシティってやつ)の路上なり広場なりでやるコミュニティのパーティだ。そのルーツは黒人教会の集まりに求められるのかも知れない。世俗歌であるブルースの歴史からすれば、ハウス・レント・パーティも思い起こされる。
ハウス・レント・パーティは近隣に住む仲間たちが、ぼちぼちのお金なり食べ物なりを持ち寄って開くアパートの一室でのライブ&ダンスである。無料ではないが
ブロック・パーティと関連づけてイメージできるのはなぜかといえば、それはオカネ持ちのイベントではない、ということである。ブルースなりリズム&ブルースを育てたのは、こういった場所と人であって、それは「
コザ・てるりん祭」とも似ていると思うのである。
もちろん「
コザ・てるりん祭」は、映画『
プレシャス』のようにスラム街で行なわれたわけではないが、戦後の沖縄音楽の<発祥の地>としてコザ(現・沖縄市)は、貧しき者たちの思いを充分に引き受けて文化を発展させてきたことに間違いはない。だからこそ沖縄の島唄は、今もコザおよび本島中部をセンターとして息づいている。フランスのミシェル・ゴンドリーが監督した映画『
ブロック・パーティ』(2004年、ブルックリンでのライブ)を観ると、
カニエ・ウェスト、
ローリン・ヒル〜フージーズ、
エリカ・バドゥらが次々と登場して、殺された
ノートリアスB.I.G.の故郷で、ばりばりのステージを繰り広げるわけだけど、自由度が高さにおいては、こういった<カネにもならないイベント>のほうがスターたちも<別の力>が発揮できるのか? とも思うのだ。
今後、「
コザ・てるりん祭」も同じような役割を担うことになるのかも知れません。