「蹴っ飛ばす」
十一月二十一日(水)
数えてみると五曲ほどか。歌詞カードをみながらだいたいやれるようになってきた(と思い込んでいる)。どの楽器、どの音楽ジャンルにも型、流儀、のようなものが必ずあるから、それがみえだしたとき、「ああそれだったら、これもやれるんじゃないか」ってノミコミが早くなる(と思い込んでいる)。そしてそんなときに、かつて私の先生たちがおっしゃった一言一言が思い浮かんできて、おお!、と感動したりするのだった。
照屋林賢さんの「アフター・ビートを叩くドラマーはクビ」もそう。西洋のドラムがアフター・ビートを叩かんでどーすんのよ、初めはぼくも思ったが、たしかに「りんけんバンド」のビート感覚は「非アフター・ビート」であって、でもでも、ジャンプする&スウィングする、なのだ。ここが温故知新主義のりんけんバンドの格別なのね。たしかに林賢さんの三線でも、名人と言われる人なら誰でもいいけど、この方々のプレイを耳コピーなんぞしてると、そのスウィング感はブラック・ミュージック系のノリとは別ものなのだ。ジャパン本土の「非アフター」とも違う、ようにも思う。沖縄の独自性か。だから林賢さんは、気安く洋ものビートを加えて気取ってる沖縄人を見ると蹴っ飛ばしたくなるんだろーなー。いつか、そう言ってたもん。
「写経」
十一月二十二日(木)
登川誠仁大先生のスペシャル「くんじゃんジントーヨー」を耳コピーしているさいちゅうに、や、オレがやっている行為はコピーじゃなくて「写経」に近いんだということがわかった。写すことで、先人の教え・姿がみえてくる。「くんじゃんジントーヨー」は、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんらと一緒になって作った、ぼくにとっても記念碑的なプロデュース作品、その一曲目なのだが、先生が歌っておられる自作詞の分かりやすさってどういうことなのか、スタジオではいま一つつかめていなかったように思う。訳せば「野辺の草木がいよいよ緑ましてきたこのヤンバル」とか、「貧しさの中にあっても互いに心をあわせて」とか、ひなびた本島北部(ヤンバル=
山原)を舞台にしながら徐々に人生訓へテーマが移行してゆく歌なのだが、これは(おそらく)すべて登川先生のココロの中を吹く風なんだな。登川流最大の魅力の一つ、強烈なピッキングに載せて、「山国であろうとも都会に住んでいようとも、ココロと、生きる姿勢がだいじだよ」とうたいあげるその姿って誰か他人に伝えようとしているようにみえて、先生が先生自身にもうたいかけている。それがシミジミ系のバラードじゃなくて、ノリノリのビートで、ばりばりとウナりながら歌ってみせるってこと、これはこの人の素晴らしき「優しさの核」なのだ。
「写経」することで、登川先生の「にんげん」を知る。
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『SPIRITUAL UNITY/登川 誠仁』