「五分の一」
十一月六日(火)
よく調べたねー、十一万人じゃなくて二万人ほどだった、という話に、ぼくは「ほぉ」と思った。週末の三日は飛行機に乗って四国・松山へぶーんぶーんぶーん。その機内で読んだ読売新聞の社説をメモったこと、忘れていた。それは「沖縄集団自決 禍根を残しかねない政治的訂正」と題された文章で、九月二十九日の県民大会@宜野湾に集まった人数に関するくだりである。
いわく「県民大会の俯瞰写真に写っている参加者を一人ずつ丹念に数えた東京の大手警備会社は、1万8000〜2万人と指摘している。主催者発表の5分の1以下だった」
「
教科書検定意見撤回を求める県民大会」は、離島地域での六千人を加えると約十一万六千人になると発表されていたのだが、当社説によれば、おおはばにちがうじゃねーのってことになる。数えた人、大変だったろうな。そして、はたしてどちらが正しい数字なんだろうかとぼくは思いました。でも、小沢民主党代表のゴッタゴタの騒動でもわかるように、こういう大きなニュースには、キツネとタヌキのだましあい〜報道操作はつきものだから、どちらも自分たちに有利な情報を流してあっているのかもしれないね。ぼくは県民大会を大いに支持するけれど、この大会を主催した人たちに「政治的判断」がなかったとは言い切れない。読売新聞が指摘する十一万人もあの会場に入りきるの? という指摘に「ほぉ」とも思う(人が多すぎて入場するのも一苦労だったそうだから、あきらめて会場の外にいた人がどれだけだったのか)。だが、かといって、ナベツネさんからナカソネさんへとつながる「超老人系ヤミ政治」の広報になっているヨミウリさんの社説をマンマ、うのみにすることも、ぼくにはできませんや。
琉球新報の当日の号外の写真説明には「数万人」と記されている。
翌三十日の沖縄タイムス朝刊一面には「会場の十一万人は体験者の思いを共有し」うんぬんと、記されている。
…しかし、コトの本質は数の差じゃないよね。ウチナーンチュが団結し自らが行動したことで、政府がビビッたということ。ひるんで、審議さし戻しとなったことだ。読売の社説は、「今後、検定を終えた教科書の記述に中国政府などが抗議した場合、政府はどう対応するのか。記述に誤りがなくとも、抗議する人々の『気持ち』に応えて訂正するのだろうか」という文面で締めくくられているけど、ごく普通の人たちの意見…民意ってやつ…がまるで政治に反映されないとき、ぼくらはコブシをあげる権利がある。コブシをあげて、「あの人たち」の行動を正す必要がある。十月二日の「
審議委員」でも触れたけど、ろくな審議もすることなしに、沖縄集団自決問題のすり替えを画策していたのが「あの人たち」なのだ。中国が文句言ってきたらどーするのか、うんぬん、じゃなくて、インチキはゆるさんってことでしょ。こういうインチキがめんめんと繰り返されているからこそ、めいっぱいのウチナーンチュが怒ったわけだ。辺野古の基地移転にまつわる守屋武昌・前防衛次官の利権獲得のための暗躍なんか、ヘドが出そうだ。で、さらに守屋の「上」がいる、ってんだからこのヘナチョコ&軟派なワシですら「憂国の士」になってやろうか、と思うよ。
「電話」
十一月七日(水)
人差し指もそうだけど、同じ左手の小指と薬指の付け根あたりが痛い。それでも三線は面白くて、今日も「りん」を抱くのだった。
「りん」が生まれたコザの
照屋林助三線店の、秀子さんに電話をかけた。そしたら、ふじたさんずっとやってるじゃないのと言われた。このサイトを見ているのだ。ここ(沖縄)に来て、やってみなさいよ、とも言われた。そして、その秀子さんが放つことばのはじはじに「わらい」という隠し文字がのぞいて見えて、これがぼくにはマゾヒスティックによろこんぶなのであった。
午後、ひさしぶりに海外から、ひさしぶりの友だちが電話をかけてきた。暗い声だった。どうしたんだ、とたずねた。弟が誰かにナイフで刺されて死にそうなんだと彼は言った。
「オレの国は最悪だよ」
彼はそう言って、電話を切った。