「月見ル」
十一月五日(月)
キューバから帰ってきたばかりだという。私の
よなは徹先生は、ビルの地下の踊り場にぽこんと立っていて、いつものように笑顔でむかえてくれた。南青山に「月見ル君想フ」という小屋があって、帰国したばかりの徹先生は今晩、沖縄にも帰らずここで実演を行なうのだ。宣伝らしい宣伝もなく、ライブのタイトルを見ると、ブラザー・トムさんが企画している秋の宴…ちょっとフシギなライブに行ってきた。
ブラザー・トムという人は、かつて相当に皮肉を効かせたピン芸人、小柳トムとしてテレビに登場した。その次がバブルガム・ブラザーズ。「ウォンビーロー、ウォンビーロー」ってブラザー・コーンが歌ってる隣りで彼は大柄なからだを揺らしているだけだった。その次がフジテレビの「堂本兄弟」で、この番組ではハジっこから突っ込みを入れてくるアロハ姿のおじさん…だから、いったいこの人、本職は何? という、いかにも今のタレントさんらしい存在がトムさんなのだ。トムさんの才覚は小柳トム時代に一番に表われていたと思うが、実はこの人、ミュージシャンなのだった。あまり知られていないけどいかしたR&Bのコーラス・グループも作って歌っている。
だけどだけど、沖縄の島唄が好きだってことは「月見ル」まで知らなかったね。トムさんは徹先生と出会い先生の歌三線に泣いてしまって、そこから先生との縁が深まることとなった、のだそうだ。思わず涙を落としたのが空に月を見る世田谷の路上で、私の
よなは徹先生はこのとき、三線を弾きながらトムさんの前を通りすぎ闇の向こうへ消えて行ったんだって。
だからね、その感動をここ「月見ル」でみなさんに体験してほしい…というのがライブの趣旨だった。たいした宣伝もしないで、やってきたわずかな人だけに、「よなはを・目の前で」きいてもらう。その歓びをどーぞ、なのだった。おそらく赤字だろうと思うし、そんなあるいみ酔狂、あるいみ人として余裕がなくちゃできない歌の実演。歌手も実力がなければただのオチャラカだ。だからこそ、
よなは徹、ってことよ。これはすごいもんでした。先生は「月見ル」の入口(地下二階)から歌いながら登場して、ずーっと「なーくにー」をうたった。本島系島唄の筆頭にある「なーくにー」は、各地、各人、各時代によって異なるスタイルがずいぶんとあるから、そのバリエイションを耳にするだけでも「うつくし〜」のだ。そして、場所が「月見ル」でしょ、舞台にも月、季節は秋、始まった「なーくにー」には、「…月や変ることねさみ…」「さやか照る月に、誘すわれてぃよ、眺みらんとぅ思てぃ、ん出ち、けーひっとり」…なんてね、月づくし。しだいに歌は盛り上がってアップテンポへと変る。そう、この構成ってのは、月下の
毛遊び(もうあしび)なんだよね。私の徹先生はエイサー団の音楽監督もやってるから、露天・路上でやる、歩きながら歌うなんてお手のもの。だから、この上手な人の、ちょい荒っぽい弾き方ってのが、また憎いんだなー。
先生は地下二階でずいぶん長いあいだ歌って、ようやくステージのある地下三階へゆっくりと降りてきた。でも舞台には上がらない。お客さん一人一人の、目の前で歌ってくれている。私の徹先生は少し前に「やっぱりぼくらの歌はみんなの顔が見えないといけないです。だからぼくは、小さいライブをなるべくやろうとしてるんですよ」と言ってたけど、「ライブ@月見ル」はその究極だった。そして、ぼくの(文字どおり)隣りで先生が歌ってくれたのが「なつかしき故郷」だった。かのフクバル(
普久原朝喜)大先生の大名曲だ。戦中戦後の沖縄の原点をしるすこの歌を、
よなは徹という若者は、なぜこのように深みをもって「語り・描く」ことができるのか…
よなは徹は、ここしばらくのあいだに、歌にしても三線にしても、ずいぶん味わいが増したけれども…こういう人と出会えてなんと有り難いことか…ぼくは心の中で、この若く未来あるウチナーンチュに向かい手を合わせておりました。ありがとう。