「松前中」
十一月四日(日)
愛媛県に「松前」と書いて「まさき」と読む町がある。その松前町には松前中学があって、この中学から、文化祭へ来ないか? というお誘いをいただいた。今日はその当日、伊予はうららかな秋の光につつまれていた。
松前中学ではぼくが書いた『
竹田の子守唄 名曲に隠された真実』(解放出版)を教材代わりに人権教育が行なわれていて、昨年の三年生諸君はほぼ一年がかりでこの歌の全貌をレポートと映像にまとめた。このレポートの内容が素晴らしくて、また情熱にあふれていて、読んだぼくは正直、驚いたのだった。二十世紀(特に後半)は、子ども、十代、若者と呼ばれる人たちが新しい文化をリードした。ぼくもその巨大な時代の流れに乗った一人であるから「子どもの力」は充分にわかっているはずなのに、自分がオトナになってしまうとやっぱりオトナは十代を下に見ようとする。だから松前中の前三年生のレポートを手にした藤田さんというおじさんはビビるのね。彼らを(心のどこかで)ナメてたから…。
文化祭に呼ばれて、ぼくは光栄に思った。だいたい性格がずうずうしいものだから、向こうに校舎が見えたあたりからもう松前中の卒業生みたいな気分になっていた。ぼくの故郷と同じ港のある町だし、なんだかバイブレイションがあうな〜とも思った。この松前中に、ぼくの好きな音楽の、その音楽の中に隠されている「にんげん」の思いと願いを学ぶ若者がいる…改めて、光栄なことだと思った。
松前中の文化祭は音楽にあふれていた。各学年の合唱から、吹奏楽部へと至る曲の構成もよくて、特に三年生の「HEIWAの鐘」には泣かされた(この歌は作詞作曲が仲里幸広。仲里さんは沖縄出身のミュージシャンだ)。
三年生たちは歌う…ぼくらのうまれたこのほしに、きせきをおこしてみないか…だって。これまでオトナは、なにをしてきたのか、子どもたちが問いかけている。だが、この設問に百点の答案を提出できるオトナは、おそらくこの世に一人もいないはずだ。そんなこのほし、地球。はたして「HEIWAの鐘」を、子どもはオトナがうたうことを許してくれるのだろうか。
午前の部、最後のプログラムは、五十四名も在籍するという吹奏楽部の演奏である。たいしたレベルだった。管も弦もリズムもよくまとまって、これまでずいぶん練習をかさねてきたことを、その力強いアンサンブルが存分に伝えていた。それでも今年は「金」を取れなかったんですと語る部員たちの悔しそうな顔がまた、良かった。
午後は、再び三年生の合唱による「
竹田の子守唄(元唄)」でスタート。そのあとぼくがお話をしたのだけれども、元唄を歌う竹田のおばあちゃんの古い録音を聞いてもらったら、おぉ、と会場となった体育館のあちらこちらから声が上がったのは嬉しかったですね。こんなの初めて。松前中の仲間は音楽が見えていると感じた瞬間だった。
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