「うめだの」
十月十九日(金)
九時少し前に林賢さんから電話がかかってきた。いま梅田にいる、という。そう話す林賢さんの言葉の周囲から音楽がかぶさってきて、レコーディングでもしているのかと思ったらJR梅田駅の路上ライブ君たちを聞きながら藤田さんを待っているから…といって彼の電話が切れた。
昨晩の林賢さんもあいもかわらずだった。ジャンパー姿で首から大きなカメラを下げて路上ライブ君たちにまじって薄暗い歩道橋の下に立っている林賢さんは、九十年代以降の沖縄音楽ブームを支えた人物とはとても思えない一般人ぶりだ。マネージャーなんぞもそばにいるわけがない。もしここが沖縄だったら彼は島ゾウリをはいて、お尻ポケットにはタオル、という完璧な装いだったはずだ。「りん」の父であり林賢さんの弟である林房(林次郎)も同様で、つまることこの人たちは自信家なのだ。わしら服装ごときで勝負してませんから…という態度、ぼくは好き。
近くのスタバというコーヒー・ハウスに入って、お父さんの林助さん話になる。照屋林助という沖縄ポップの祖が遺した「財産」をどう未来へ活かすのか&…嘉手苅林昌、登川誠仁、沖縄市の財政、基地問題、地域の再開発に政府援助…そんな話の数時間、二人で水ばっかり飲んでいた。ミネラルが入っているというワーラー(沖縄英語で水のこと)、計二リットル。そして気がつけばミッドナイト・イン・オーサカ。話疲れて、こんどまた。ぼくは三線へたなんですよ。だからまいにち、おーさかのほてるでも三線のれんしゅうしてる。ぼくは三線へたなんですよ。へただから…三線の名手と言われる人物が繰り返し繰り返し、呪文のように繰り返したコトの葉が、ぼくの肌にこびりついて離れない。