「花の道1」
十月十三日(土)
昨晩はあさ子さんのお稽古の日で、午前からお茶とお花の生徒さんたちが一人ふたりとやってきた。一日の仕事を終えて、家で食事を摂ったあとに来る方もいるので終わるのは夜の十一時近くになる。
あさ子さんのお稽古はちょっと変っている。お茶室がしーんとなることがあまりない。ときに冗談が飛び笑い声があって、そのそばで幸塚さんちの小学生が(お茶室の中で)声をあげながらお花を活けている眺めがある。普通の人たちが、普通の生活の中で無理をすることなく技術と美のセンスを得ようと集まっている。これは悪くないね。
格式ばって、何だかおカネの匂いがするお茶碗をありがたがる…という権威主義に、あさ子さんは自分の「流儀」を示すことで暗に批判を加えているように見える。華道家に假屋崎省吾という人がいるけど、あのビカビカ趣味、オカネのない人は寄って来ないでね〜…みたいなのって花の道なんでしょうかね。ああいうのが俗の権化であって、あさ子さんのはその対極にあるように思う。
「花の道2」
十月十四日(日)
かつて照屋林助さんが普通ってなんだろうと疑問を投げかけたことがある。たとえば幻の酒というものがあって、それをみんなはえらくありがたがるけど、普通の人が手にできないお酒って、美味いもマズいもない、それは我々にとってはお酒ではないんじゃないの?と言っていた。林助さんらしいものの見方だ。
沖縄には、こういった世界のあり方や時勢のあわただしさから一歩身を引いて考えるゆとりをあたえてくれる場所がある。沖縄音楽もその「場」「その空間」から生まれているのね。ぼくはそう思う。そして、その「場」「その空間」というのは実は日本全体が共有するものでもあったの…その事実を、沖縄が教えてくれる…こういうグルグルな構造が今のジャパンなのね。