「平良敏子」
九月二十三日(日)
オキナワ、というだけで、たくさんのつながりができる。ウチナーンチュの地縁血縁を大切にするエネルギーが、こちらヤマトの文化にも少しずつ浸透してきているのだろうか。
それにしても今日は、オキナワの日だった。平良敏子さんという芭蕉布で有名な人間国宝がいるけど二十三日は彼女の特別展の初日。昼過ぎには平良さんご自身のお話会があるというので銀座へ出かけた。
会場の時事通信ホールは入り口前まで人があふれていた。すごい人気だ。中にも入れない。
三十分ほどだろうか、入り口で待っていたら歓声があがった。ホールから出てきたのは紀子さんだった。めかしこんだ奥さん連中がずいぶん多いと思っていたけど、なるほどそうか。飛び上がって喜んでいる人もいた。皇族を見かけるってそんなに嬉しいことなの? 人間は平等だとぼくは思うけどな。立派な黒塗りの車をずっと会場に横付けしておきながら、ぼくらにはちゃんと並べだの何だのと係員は規制していた。まずは交通違反のその車をどかせよ、と係員に向かって言おうとしたときに歓声があがったのだ。日本に身分の差というものがあって、それが当たり前になってる。ぼくらは「以下の人間」だと言われているようなものなのに、「上の人間」に接すると喜んでしまう。それっておかしい。
玄関口に出てきた紀子さんの隣りに、平良さんがいたのがわからなかった。米寿を迎えた喜如嘉(きじょか)のオバアの祝いの日……つづく。
九月二十四日(月)
……平良敏子さんの工房には二度訪れたことがある。やんばるの、大宜味村喜如嘉。遠いところだ。平良さんは言う。一本の、それも選りすぐった糸芭蕉から着尺地用の糸は五グラムしか採れないのだと。糸芭蕉を植えてから、この目の前にある見事な布地となるまでの道のり。喜如嘉の芭蕉布にしても女たちの布は、京都・竹田の絞りでもどこであっても、はるかに遠い。
「喜如嘉の芭蕉布 平良敏子展」を出て、世田谷へ向かう。照屋林次郎(林房)が三線展をやった世田谷コモンズに
仲地のぶひでさんが個展を開いているからだ。一九五三年生まれ。林房と同い年。林房も絵描きだけど、仲地さんには「焦墨画」という独自のスタイルがある。沖縄の線香で墨絵を焦がすのだ。仲間が三線で歌って、みんなにお酒がまわって、気分がほのぼのとしたころ、仲地さんはせっかくだからと焦墨画の実演をしてみせてくれた。お線香に火が入って、仲地さんはウートートゥ(お祈り、ああ尊や)してる。絵がうまくいきますようにとね。沖縄っていいなーと思う。白髪に白いヒゲ、いつもわらっているシーサーおじさんみたいな仲地さんの目だけが、芸術家だ。
沖縄つながりで(と毎度、勝手に決めつける)、北折一(きたおり・はじめ)さんとも出会う。仲地さんのイベントを切り盛りしている関原宏昭さんが…この人は琉大で教えている建築家だけど…NHK「ためしてガッテン」のヒットネタの多くはこの北折さんの企画なんだよと言って紹介してくれたのだ。お酒に関しても相当に詳しいとのことだから、こっちはノンべだし、すかさず酒はどれが美味しいの? という凡夫のクエスチョン。北折さん、「ぼくにはわからないです」 いいねー。
で、酒を酌み交わし、気がついたら九月二十五日、渋谷で五時。よれよれの別れの朝となった。
最新刊『NHK ためしてガッテン流 死なないぞダイエット』(アスコム)をもらい、家に帰って、「りん」の傍で寝る。