「アベ」
九月十八日(火)
琉球フェスティバル・東京の現場を担当している阿部君と会う。今年もフェスティバルの推薦文を書いたのはぼくだった。
代々木上原から渋谷に向かうゆるゆると曲がる細い裏道…ここは元々が川で今は暗渠、「春の小川」のモデルになったところのはずだ…そんな裏道に、立ち飲み屋があってね、阿部君とそこで一杯やったのだ。えんえんと沖縄の話。そして島の歌の話。アンド、歌三線の練習の話。酔って気が大きくなってるから、お前も三線ゲットしろよアベ! なんてフラーな話(バカ話)で盛り上がったのだった。
続いて近くのこざっぱりした場所へ移動したら、フォーシスターズが小さくかかってるじゃないの。アベ、これいいなー、なんて言ったら、すかさず阿部君が、そんな…これってあなたが監修したCDじゃないですか、だって。れれれ。だから、また盛り上がってしまったのだ。しばらくしてタナマリもメグもやってきて、そんなこんなのイン・ザ・ミッドナイト・アワー、耳に(小さくだけど)入ってきたのが登川誠仁さんの歌三線だった。アベ、誠小先生(しぇいぐわー・しんしー)のこの録音、よくできるよなーアベ! 登川さんはホンマに凄いわ、アベ。と涙腺ゆるゆるの状態で阿部君のほうを向いたとき、気がついた。これもぼくが制作監督をしたアルバムだった。
「薬指」
九月十九日(水)
薬指の先が痛い。と、いうことは、弾き方を間違えているってことだ。弦を緩めて、棹を拭いて、「りん」をケースにしまうときオヤ?と思った。
三線では、ふつう薬指は使わない。なのにぼくの薬指の先には弦を押えた感覚が残っている。厳しい先生に習ったりなんかしたら、ムチでびしばしやられる「バッド・フィンガー」なのだ。あぁ、いたるところに問題の芽が。「ピシ」「ひえぇ」「その指が悪いのよ、ピシ」「先生、お許しを」「いいえ、今日は許さない。いけません、ピシピシ」
…どうもぼくはこういうシチュエイションに憧れがあるんだね。相手はちょい年増な、おっしょさん。一見、少しキツメな性格。長い黒髪を銀のかんざしでクッとまとめ上げたりして。二人で正座なんかしちゃったりしてさ。ピシピシって。