「耳チンダミ」
九月一〇日(月)
調弦のことを沖縄ではチンダミという。今日初めて、耳チンダミがうまくいった。「耳チンダミ」はぼくの造語。耳だけで調弦をする。照屋林賢が何度かぼくに言ってたことだけど、三線は調子笛なんか使う必要なんかない、だって耳が覚えてるじゃないかって。林賢さんは若い頃から三線をやってたから、彼ならそれくらいは簡単だろう、なんて最初は思っていた。でも林賢さんが言いたかったのは、三線音楽は始める時から体で覚えないとダメだよってことだったと思う。照屋さんちの秀子さんも、コザの三線店(照屋林助三線店)でぼくに三線を手渡す時に、三線グッズ一式の中からさっさとチューニング用の笛を抜いていた。
「こんなのいらないでしょ」と秀子さんが言う…実はちょっとたじろいだのだけどぼくは気がチビだから「うん」なんて応えてしまったのだ。だからそれ以来、耳だけでなんとかしてやろうと…。
そしてまた発見。耳だけで調弦を成功させるためにも、左手の持ち方、というか、親指の付け根のポジション・キープがすごくカナメであることが(ちょっとだけだけど)わかった。徹先生の親指って、まったく動かなくてうらやましいなんて前から思ってたけど、格好だけじゃない、動かしたらアカンのね。あそこはある意味、支点なのだ。左のてのひらは動かさず、棹を載せる親指付け根あたりを軸として、三線における三本指(左の人差し指、中指、小指)だけを働かせる。という構造。これを確定させると、指も音を覚えることになるから、耳の記憶と併せて総合的にプレイヤーが音の調子を判断できる、ってわけだ。そしてこの行為が、どんなに早弾きをしても、三線奏者の「その部分」はクールで微動だにしないという「美学」が生まれる…のかも。ということは、三線のプレイはエア・ギター世界選手権に一番遠いってことか。だって動かないんだものね。
「文楽」
九月十一日(火)
仕事の合間を見つけて、久しぶりに文楽を観てきた。人形浄瑠璃だ。文楽には人間国宝の吉田玉男という人がいて、彼は昨年の九月に八七歳で亡くなった。ぼくが観てきたのは、この吉田玉男さんを追善する特別演目「菅原伝授手習鑑」(すがわら・でんじゅ・てならい・かがみ)である。ぼくはこの人が好きだった。
「手習鑑」はもちろん菅原道真の悲劇を軸にして進行する物語だけど、今回はいつもより三味線プレイに鑑賞の時間を割いたような気がする。そう我が林房三線のために、ですね。ベンキョーのためにね。ま、文楽は大夫(たゆう)・三味線による浄瑠璃に併せてお人形たちが演ずるという構造だから、ボーカル&伴奏楽器を意識の中心に据えて観劇するのは本筋ではあるのですが。
さてその三味線のワザ、どうだったのか…正直言いますと、うますぎて、わかりませんでした。たとえば鶴澤寛治(この人も人間国宝)というおじいさんが「杖折檻の段」に登場したんだけれども、三味線の構えから、ほんのちょっと背筋を崩しているふうの姿勢やら、プレイ中のギミック、エグい音のはさみ方、またそんな時の、左手が一気に棹の上下を疾走する粋な姿を目で追っているだけで、こりゃあすげーや寛ちゃん!、なんだよね。そして、我がよなは徹先生と同じように、鶴澤寛治人間国宝氏も、こんなワザを、しらーんぷりしてやってるところがニクイ。やっぱ三線と三味線って「こういうところにも兄弟姉妹の関係が表われてる」なんて(今回も勝手きままに)思ったのでありました。
もちろん三線と三味線の決定的に異なるところは多々あるんだけど、これを書き始めると長いんでやめる…でも一つだけ触れておきたくて、それは三線には海の音が今も生きているってことだ(これはもしかしたら、自然とのつきあい、という意味で津軽三味線の太棹にも似たようなことがあてはまるのかもしれない)。
三線(の音)には海の匂いがするのが、好き。これを耳で感じさせてくれたのが照屋林賢さんだった。彼はかつてぼくに、北谷の海の前で三線を弾いてくれたことがあった。三線と海とは一つに結ばれていると確信するに足る、しっくり〜しっとり感。それは三線が過去に大海を渡ってきた事実を楽器の中に留めているからに違いない、とも思ったのだ。そして、ヤマトで三味線へと変った単弦三コースの楽器は、長い歴史の歩みの中で「海」を捨てたのだろう。捨てて「陸」に上がって「部屋」の中に入り、そして浄瑠璃的なる感情を発酵させた…。
…楽器一つで、ぼくはいくらでも夢を見ることができるようだ。