同時にこの歌は、赤い鳥の内部にも亀裂を生んでいきます。
現在の後藤悦治郎さんは平山泰代さんと二人で「
紙ふうせん」というグループで活動していらっしゃいますが、赤い鳥時代の後藤さんは、単に美しい歌というだけでなく、その背景をも含めて歌い込んでいきたいという考えの人でした。しかし、そこまで歌に入りこんでいいのか、そんなに考えないで歌と接したいというメンバーもいた。赤い鳥の解散の理由は、「竹田の子守唄」がすべてではないにしろ、若いメンバーたちに歌うこととは何であるかという大きな問題を突きつけたことは確かなようです。
ではここで、もう一つの「竹田の子守唄」を聴いてもらいます。
いわゆる原曲の一つです。これは竹田で活動をされている外川正明先生から頂戴した録音で、かつて尾上さんのために歌を披露した方の声とは違います。
明治から大正、昭和の初めにかけて、守り子に出された(主に)少女は竹田に限らずたくさんいました。彼女たちは、それぞれが「〜の子守り唄」の作者だったわけです。
外川先生たちは、そんな生き証人のお一人の肉声を録音されたのです。
原曲は、赤い鳥の「竹田の子守唄」とずいぶん違います。
その辺をぜひ聴いていただきたいと思います。
またこれは素人の歌です。素人のおばあちゃんが「ああ、歌詞を忘れた。どうしよう」みたいなことを言いながら、またうたい出す録音ですが、これがいいんですね。歌の上手ヘタではなく、この女性の心をぜひ汲み取っていただきたいと思うんです。