文・藤田正(Beats21)
一一月六日、日比谷野外音楽堂で一枚のCDを買った。
中川敬らが、会場で販売していたチャリティ・アルバム『風ガハランダ唄』である。当日の野音では「教育基本法の改悪をとめよう!」という全国集会が開かれており、中川は
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのシンガーとして、ここに客演していた。
CDを手にした時、阪神淡路の震災が来年で十年を迎えることを忘れている自分に気がついた。
アルバムには英文で「神戸の<すたあと長田>を救え」と書いてあった。すなわち、被災者のために活動を続ける支援団体もまた困難に直面しており、その支援のためにアルバムが作られたのだ。
彼らの十年にわたる行為を、自分はどこまで見知っていたのか。『風ガハランダ唄』の歌とメッセージは、痛みを伴なってぼくに伝わってきたのである。
アルバムにはもちろん「満月の夕」も収められていた。震災をきっかけに生まれた中川敬と山口洋によるこの名品、本アルバムでは須磨区復興住宅の広場で収録されたテイクが収められていた。モノノケ・サミットとしての、熱く心のこもった歌と演奏だった。
モノノケのリーダーである伊丹英子と、アイルランド音楽の重鎮、ドーナル・ラニーによる共演「夜明け前」もある(with桃梨)。人気ロック・バンド「くるり」の岸田繁は「竹田の子守唄」を歌い、ジャズの梅津和時はアルト・サックス一本で「ヴェトナミーズ・ゴスペル」をプレイしている。大正、昭和初期の童謡の時代から多くを学び取った中川敬の「ひかり」は、「満月の夕」の作者ならではの力を感じさせるバラードである。
『風ガハランダ唄』は、参加したミュージシャンそれぞれの熱意に加えて、なにより「静けさ」が聞き取れる作品に仕上がっていた。十年という歳月の中、それは厳しい現実と向き合ってきた当事者たちの心象風景のようでもあった。
「私の心、あなたの為に、大変痩せた、死ぬかもしれません」(小笠原民謡「夜明け前」)
こんな死者の魂を吸い寄せるかのような歌が一曲目。震災直後からコンスタントに被災者と付き合ってきた伊丹英子たちの思いが、このアルバムを支配している。彼らは音楽を通して、人が生きること死ぬことを見つめているのだ。
さて、再び一一月六日の日比谷野音。ぼくは会場でもう一人の友人と会った。音楽評論家の花房浩一である。彼は、「
非戦音楽人会議」という、先日準備サイトが立ち上がったばかりの、音楽家や音楽関係者を中心とするネットワーク作りを提唱する一人だ。
「戦争や軍事力の行使に反対し、そこに関わるいかなる行為にも荷担しないことを誓い、それを明確に表明する」(呼びかけ文から)
すなわち、娯楽産業として音楽を成立させることだけが音楽人の仕事なのか、という問いかけである。今夏の米軍
ヘリ墜落事故と音楽は、無縁なのか。あるいは、米軍のファルージャ総攻撃に、日本のロックは知らんぷりでいいのか。
(忙しさにかまけて?)かの震災のことすら忘れそうになっているぼくも、メンバーに加えてもらった。震災、戦争、教育、国家(国歌)…こんな暗い時勢だからこそ、音楽(人)に何ができるか。
事態は差し迫っている。
(初出『週刊金曜日』2004年11月26日付)
*『風ガハランダ唄』3000円(賛助金)
問い合わせ:すたあと長田
start@topaz.ocn.ne.jp tel: 078-521-7170
http://www7.ocn.ne.jp/~start-n/cd.htm