「私は歌手ですから、美しいメロディや詞を歌としてちゃんと伝えたいだけなんです。かつて赤い鳥はフォーク・ブームの真ん中にいたグループでしたが、私は最初からフォークだ何だというような区別は全く意識していませんでした。歌をうたいたかった、それだけです」
歌を一つ舞台に上げるしても、そこには様々な人間の思いや主張が存在する。
山本さんにも、歌手としての明確なポリシーが存在する。
私は山本さんのような、どんな考えであれ自己の立場をはっきりと言える歌手、そして、それを取り巻く関係者ばかりであったなら、「竹田の子守唄」はいわゆる「放送禁止歌」にならなかったと思う。意見を異にする人々であっても、語り合うことこそが相互理解の第1歩であるからだ。
「竹田の子守唄」のこれまでの歴史は、その反対だった。「臭いものにフタをする」という言葉があるが、それが「臭い」ものであるかどうかも検証されることなく、「臭い」とされたのが「竹田の子守唄」である。そしてこの場合の「臭い」とは、被差別部落、および被差別部落民のことを指す。
このようなムゴく、陰湿な差別構造は今も続いている。この差別に差別を重ねる図式を、私たちは消し去らねばならない。
「竹田の子守唄」は、そのためにも輝き続ける、日本の名歌なのである。
(連載おわり)