文・藤田正(Beats21)
松本哲也というシンガーがいたことを、この『空白』を手にするまで知らなかった。
『空白』とは、彼の過去を追った自伝であり、自作の歌の題名である。
「1976年岩手県水沢市生まれ。家庭の事情により12歳まで児童擁護施設で過ごす。中学卒業後、単身上京。職を転々としながらストリートで歌い続け、2002年CDをメジャーリリース…」と本の経歴紹介には簡単に書かれているが、その「家庭の事情」だけでも、すさまじいものがある。
すなわち、父親はヤクザ者、母親は薬物中毒。小さな松本は病んだ母親と一緒に田舎へ帰るが、母の実家は没落し、住まいを共にした年長の従妹からは殺される直前までのイジメを受けた。
そして彼はグレて、警察の世話になり、両手が後ろにまわるような不良になる。でも、それだけでは足らずに(?)どんどんと奈落の底へ、両親ともども突っ走ってゆくのが書籍『空白』の大筋である。
まるで映画のストーリーのようだった。彼のCD「空白」が書籍の後ろに付いていて、そのクセのない柔らかなボーカルを耳にしながら活字を追いかけてゆくと、これはほんとうの話なのか? とすら思えるのである。
「ずっと忘れたいけれど 足音に振り向く癖が消えない」
CD「空白」には、こんな歌詞が出てくる。彼は熱を込めて歌っているが、絶叫ではない。冷静を保ち、理性の効いた歌声である。
悲しいから泣く。苦しいからもだえる。「空白」には、そんな感情の表わし方は微塵もなかった。地獄の果ての果てまでを見知った青年とは、こんな歌をうたうようになるのだろうか、と思うと、言葉を失ってしまう、そんな「空白」という歌なのだった。
書籍『空白』も同じ、静かな感情を崩すことなく進んで行く。しかし、一つの光が見えたと思いきや、闇と不幸と不運は、さらに彼を襲う。「ボーン・アンダー・ザ・バッド・サイン」(不吉なる名の下に生まれて)という有名なブルースがあるが、松本哲也の二十数年とは、まさしくそれだった。だからこそ彼は、人生をあるがままに受け止め、一つ一つの小さな生きる兆しを大切に積み上げて行こうとする。絶叫よりも号泣よりも、静かに進むことのほうが大切なのだという達観が、彼の落ち着いた語り口に明示されているように思えたのである。
また一つ、歌に教えられたのだ。
『空白』を読み、CDを聴いて、奇妙な縁だなと感じることがあった。
彼は一年ほどワーナーという大手のレコード会社と契約していたのだが、当時、彼の担当だったのが
品川知昭という人物だった。
品田さんは、つい先日解散した女性二人組「花*花」を世に送り出した人であり、さらに大手のスタッフの中で「
竹田の子守唄」を積極的に評価し、花*花にこの歌を録音させたことで話題を作った人物でもある。ぼくは単行本『
竹田の子守唄』を書いた直後、彼と知り合った。品田さんは、「そこに本当の音楽があるから」とレコーディングを決め、差別問題が起こるかも? という会社上層部の杞憂を跳ねのけて「竹田」を録音したのである。
状況は異なるとはいえ、そんな人物が、自分がなぜ生きているのか(あるいは生かされているのか)、その答えを追い求める松本哲也という青年と出会ったというのは、当然のことのようにも思えるし、またぼくには、しみじみと感動的なのであった。
「いつかはこの空白さえ アルバムに飾れるというのだろうか?」(「空白」)
(初出『部落解放』2004年9月号)
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