「竹田の子守唄」のルーツは京都の被差別部落です。それゆえに、この歌は差別されてきたのです。このポイントを短い放送時間の中で、「部落」あるいは「被差別部落」という言葉を使わないで語るのは、私のような喋ることを専門としない者には難しいことに思えました。
しかし番組のプロデューサー側は、「部落」という言葉を避けながら、なぜこの歌が放送にかからなくなったかを説明してほしいとのことでした。
私はとっさの判断で、司会者の問いに対して、次のように言いました。
かつての日本のメディアは「人権」や「差別」に対する意識が今よりもずっと低く、ヒット曲「竹田の子守唄」が人権問題にかかわる歌だと分かった時、関係者の多くは鬱陶しい、面倒くさいと考えた、それがいわゆる「放送されない歌」になった要因の一つだろう、と。
この私の説明に間違いはないだろうと思います。しかし、充分に説明ができたかと問われれば「NO」です(だからこそ私は単行本を書いたわけですが)。
同時に、番組制作者がなぜ「誤解を招く」と考えたかも問題です。そこに、この歌が大ヒットした30年前と同じように、「人権」や「差別」にかかわることが鬱陶しいといった意識が働いていたのではないか。そしてそういう問題を、単行本の宣伝になるからと、私自身が避けて通ろうとしていた、とも指摘できるでしょう。
もちろん、「部落」という言葉が使えないならこの番組には出ないという選択もありました。しかしこの選択は一見、
潔 さそうですが、こんなことをしていては「竹田の子守唄」がいつまでも閉ざされた歌になってしまうように思います。
どちらの選択が良かったのか。あるいは、別のやり方があったのか。幸い番組に接したリスナーの方々の反響は大きかったようですが、「竹田の子守唄」で考えさせられることは、まだまだたくさんあるようです。私はもう少し、メディアとこの歌の接点の部分を取材してみようと思いました(連載6へ続く)。
(写真は、メジャー・デビュー当時の赤い鳥)
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