文・藤田正
なぜ「
君が代」が入っていないんだろう? どうも釈然としない。
昨年の一二月一五日、「〜親から子、子から孫へ〜 親子で歌いつごう 日本の歌百選」の発表があった。
「親子で歌いつごう 日本の歌百選」とは、文化庁と日本PTA全国協議会の共同主催で実施された歌のキャンペーン(啓蒙活動)のことである。
そのホームページを開くと「仰げば尊し」から「われは海の子」までアイウエオ順に全一〇一曲、伝統的な子守唄、
唱歌、
童謡、戦後のヒット曲、新しいものでは中島みゆきの「時代」やSMAPの「世界に一つだけの花」と、チマタに知られたあの歌、このメロディが並んでいる。でも「
君が代」はない。
人気がなくて外れたのか、あるいは意図的に外されたのか? これがぼくの悩みなのだ。
「親子で歌いつごう 日本の歌百選」は、お国が公式に発表した21世紀最初の「ベスト・ソング・リスト」である。企画の発案が、河合隼雄・前文化庁長官。取材に応じてくれた文化庁の浅原寛子氏(芸術文化課企画調査係長)によれば、「最近は家族の歌、みんなで歌う歌がなくなったと(河合氏が企画を)思いついたのが発端です。これまで文化庁は、『お雑煮100選』『わたしの旅100選』とやってきましたから、歌の企画があってもいいとの判断は自然だったと思います」とのこと。
選考委員には、近藤信司(文化庁長官)、伊藤京子(日本演奏連盟理事長)、梅田昭博(日本PTA全国協議会会長)、安田祥子(声楽家)、由紀さおり(歌手)各氏ほか計一二名、これに選考委員会顧問として河合隼雄氏が名を連ねている。
選考の方法は、日本語詞のついた歌で、子や孫に歌ってあげたいもの、「日本の伝統文化として次世代に残したい歌」(引用は応募要領から)を一般から募り、数の多かったものの中から委員が絞り込んでいった。
となると、選考委員の意図が反映された選曲であるということだ。であるのなら、なおのこと「
君が代」の不在が不気味なのだ。だってこの企画の主眼が、お国としての国民に向けた情操教育であるのならば、国歌「
君が代」は必須ソングのはずだからだ。なのに選ばれていないってことは、繰り上げ当選もままならないほどの不人気だったのか(!)、あるいは、畏れおおくてとても「普通の歌たち」と一緒にできない、ってことじゃない? ぼくはここにすごい不純を感じるのね。
だいたい、子や孫たちに伝え残したい歌…と言いながら、一つ一つの歌にちゃんとした解説がない。代わりに、一般の人たちから寄せられた歌のエピソードに大賞なり特別賞なりが与えられて、それで終わりだ。
ぼくは短文を寄せた人に文句があるわけじゃない。歌を並べ替えた人たちに特別な「意図」を感じるのだ。つまり「いい歌だな〜、みんなで声を出してさ〜」というお国からの規範の提示というのは、歌が本来持つ深みから耳目をそらす行為なのだ。
たとえば、百選に選ばれた、明治の三大人気
唱歌の一つ「われは海の子」は、本来は軍国主義的色合いの濃いオチ(七番)が付いていたこと。あるいは、官製音楽(
唱歌)に対抗してできた大正期の
童謡には、忍び寄る言論統制の陰からなんとか表現を守ろうとした気運の賜物でもあったこと。坂本九の「上を向いて歩こう」であれば、単におセンチな歌ではなく、その「涙」に六〇年安保の挫折が映し出されていること…そう、名歌には必ず「日本」が生きているのだ。そして、その歴史その土台をひっくるめて、歌を子や孫に伝えるのが本道でしょう。だいたい「子や孫」と言えば、ついチビッ子を想像しがちだけど、彼らは青年、大人でもある。「子や孫」「母」「家族」って言葉のトリックなんだよね。
日本の諸芸能の土台であるマイノリティの声…「アリラン」や「竹田の子守唄」も選外。当然。なぜって安倍首相の唱える「美しい日本」の範疇に入らないから。「
君が代」と対極にある選外ソングがこれらだ。
今、改正教育基本法の公布・施行と重なるように、「こころを育む総合フォーラム」が「提言」を発表し、「教育再生会議」は第一次報告案を提出した。教育、子ども、家庭、そして日本人の心…「親子で歌いつごう 日本の歌百選」は、国家による人心掌握の作業が、ついに歌にも及んできたということなのだろうか。
原文/初出:『週刊金曜日』(2007年2月2日、通巻640号)
親子で歌いつごう 日本の歌百選:
http://www.uta100sen.jp/
d-score(
唱歌、
童謡ほかの専門サイト):
http://www.d-score.com/