小沢昭一/童謡は日本の自然の宝庫
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Beats21 |
名優、 小沢昭一(写真)が素晴らしい童謡のアルバムを発売した(2001年9月21日)。
今、なぜ童謡なのか。それは、かつて彼が録音した、日本大衆芸能史に欠かすことのできない大作「日本の放浪芸」と、心は同じだと言う。
激変してしまった日本。大切なものを失ってしまた日本人。
彼はアルバム『夢は今もめぐりて』(ビクター)で、優しく、訴えかける。
本文、全12ページ。インタビュワー、藤田正(Bets21)。
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----月並みですが、どうしてまた童謡を?
一言で言えば、歌いたくなったということです。2年ぐらい前から、また歌をうたいたいなという気になりまして。でも芝居のスケジュールが決まってましたので、それをやり終えて満を待して始めたという感じなんです。ぼくの、上手くもなんともない歌--いえ、自分でもよくわかっているんですが、オジイサンが好きで童謡を歌うのも変な現象だろうと思いまして(笑い)。
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----ご自分では、子どもが歌うんじゃないから「老謡」だと。
だいたいね、ぼくは、絶滅寸前のものが好きなんです。『日本の放浪芸』を作ったのもそうです。なんだか知らないけど(大道芸を)追っかけようという気が起きてくる。
芸能だけじゃないんです。たとえばバリカンがなくなりつつある。そうするとバリカン、どうなっちゃったのかと、信州の山奥まで、バリカン作っているオジサンの所まで訪ねて行くとか。
なんでもそうなんです。なくなるのが嫌なんです。新しいものも嫌いじゃない。並存させたらいいのにと思います。
どうも日本の場合は、新しいものがでてくると古いものを捨てるでしょ。
だから童謡も、大道芸を追っかけたのも、ぼくにとっては同じなんですよ。
今の子どもたちは童謡を歌わないでしょ。
----本当にそうですね。
(写真は『夢は今もめぐりて』)
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VICG60472から |
このままで行けば絶滅してしまう。だから童謡、唱歌を聞いて、いいなと思う世代と、取りあえず今は組むしかない。もっと言えば、オジイサン、オバアサン、お父さんお母さんたちが、仕事をしながらでも口ずさめば、必ず子どもの耳に残る。
ぼくらだって、童謡、唱歌を覚えようと思ったわけじゃなくて、耳に自然と入っていった。それは親や周りがうたっていたからです。そういう意味で、歌だけじゃなくて、オジイサンの役割ってあると思う。オジイサンが孫に伝える。だってお父さんは、忙しいから。お母さんも、なにやってんのか知らないけど、忙しぃんだ、これがね。
オジイサンたちは暇だから。
でも自分たちの文化を押しつけるとなると、今の子どもたちは「ダサイ」とか言って耳を背けるから、一緒に遊べばいい。えてして年寄りは、「伝えなくては」「残さなくちゃ」というふうになりがちなんですよね。歌だけじゃなくて、セミ取りも一緒にやればいい。オジイサンであれば、昔取った杵柄で、セミ取りなんか孫よりは上手いはずでしょ。
だから童謡も、愛着のある人から復興のきっかけをね--今風の言い方をすれば「立ち上げて」もらってね--嫌な言葉だね、「立ち上げる」っつうのは--あんまり好きじゃないんだけど(笑い)。
若い人たちは、環境保存とか、そういうことに関心がありますよ。こんなことじゃ、心が潤わないと考えてる。むしろ年寄りが諦めて、若い人のほうがマジメに「これでいいんだろうか?」と考えている人が多いようにも思います。
そういう人にとって童謡は自然の宝庫です。
「良き環境」というものが、あの歌の中に、どの歌にでも、いっぱい込められている。
----大上段な言い方ではなくて、小さな発見をうながす歌があり、少し前まで目の前に普通にあったものを歌っている。メダカとか。
そうです。ですからそう意味も込めて、私も一つ、作詞をしました(「小っちゃい小っちゃい青い草」)。この間も、若い方があの詞でジーンときたなんて言ってくれて。ま、お世辞かなんか--でも目をみれば、まんざらウソでもないようなんです、これが。
だから観念的には、若い人たちと通じ合えるものがなくはない。あとは具体的にそれを楽しんでくれて、エンタテインメントとして、どういうふうに受け入れてくれるか、ということですね。
しいて言えば、今、オジイサンが歌うから意味がある。
----確かに童謡のアルバムではありますが、この作品が立っている場所を考えると、なかなかのメッセージ・アルバムですよね。
「いなかの四季」という歌が入ってますけど、一年を通しての家族そろっての農作業なんて、田舎の人だって知らないんじゃないかな。だいいち、田舎ってなくなったんじゃないか?って、そんな気がするんです。このアルバムには、なるたけみんなの知ってる歌を入れようとしたんですけど、あえて(今は知られていない)この歌を入れました。
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Beats21 |
「いなかの四季」は、ぼくらの尋常小学校の唱歌に入っていた歌なんですよ。
そういうことを心の底において、そして、なにより自分が好きな歌を歌う。
それを歌えば、私が泣ける。私がジーンとくる。
人様であれば体験も違いますからね。自分がジーンとこないものを歌ってもしょうがないから。だから、みんなワガママ言わせてもらって(笑い)。
----アルバム制作の細かな所は、他のスタッフにお任せという感じですか。
いや、それがそうじゃない(笑い)。どんどんと私のほうから、要求を出すというスタイルです。ただ3人の編曲者のうち、1人は私がお願いした方ですが、あとの2人はビクターさんにお任せしましたけどね。
つまりそうなれば、若い方々が入ってくる。若いプレイヤーの感覚が、ぼくの好きな歌とどういうふうにドッキングするか、そんな面白さもあるだろうと。
ぼくが戸惑ったところもありますよ。でも克服しようと、ずいぶん頑張りましたよ。
----じゃあ、「老謡」というイメージじゃないですね(笑い)。
いやいや、「老骨に鞭打って」という言葉もあるじゃないですか(笑い)。
----ジャズっぽいアレンジとかもある。
あれは、ぼくが強力にお願いしたんです。ジャズも、ぼくらの古里ですから。
----苦労した部分というのは?
やはり若い人たちの編曲だからね。でも若い、ったって、それは私から見ればであって、もうちゃんとしたAクラスの中堅どころみたいな人たちだけど--昔の編曲だったら、ジャンジャカ・ズンチャカと演奏が来て、ハイ!歌って、となるんだけど、(彼らの編曲は)どこから歌が入っていいのやら、フフフ、まるでわかんない!(笑い)。
----でも小沢さんは、こういうのがジャズだから、これはタンゴだからというように、杓子行儀に決めてかかるような世代じゃないですよね。ジャンルがどうこうよりも、心に響いた音楽を素直に受け入れた柔軟な世代。ですから、今回の編曲もいったん慣れてしまえば、問題はなかったんじゃないですか?
そういう面はありますね。
----その、世代という点から考えると、かつて、子どもというのは今とはまるで違った存在でした。そして時代が、大正、昭和の初めあたりになって、童謡が典型ですけど、はっきりと子どもを意識した、子どものための、という文化ができてきました。
私は、ちょうどその世代なんです。そのあとは「よい子」という言葉が出てきましたね。子どもがおだてられた時代。そして子どもは「小国民」という、国民の一員に入れてもらった。で結局「富国強兵」で「軍国少年」のほうへと徐々に連れて行かれたわけです。
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しゃぼん玉座 |
大正から昭和の初めにかけて童謡ができてきたというのは、それまでの唱歌みたいなものがちょっと古臭いと。だから、あれは一つの革新運動だったんです。
----「赤い鳥」運動とか、ですね。
「赤い鳥」を中心に、優れた作家たちが、いい詞を書いた。数々の素晴らしい詞があるわけです。ぼくは俳優という言葉を操る仕事ですから、その言葉を大事にして、今回のアルバムでは一言もわからない言葉がないように心がけたつもりです。
近ごろは、言葉がほとんど消えちゃっている歌ばかりでしょ。言葉がわからない。
旧世代の人間の役割として、言葉を伝えたい。それをやらなければならないと。
だから自分の録音で、ちょっとでも言葉が不明瞭になってしまったら、エンジニアの人に「(音を)立ててくれ」と細かく言いましたから。
それと、近ごろはみんな音(演奏)を先に録音して、それにボーカルを乗せるでしょ。
でも美空ひばりという方は同時録音でした。
(写真は、これから始まる公演「唄って語って 僕のハーモニカ昭和史」のチラシ)
ぼくら俳優にしてもそれは当たり前のことで、放送劇にしても何にしても、音楽から虫の音(ね)まで、全部が一緒になってスタジオで同時にやったものなんです。
誰か一人がしくじれば、全部やり直しという凄いプレッシャーの中でぼくらはやってきた。あれはすごい緊張感で、しかも終わればみんなで肩を組みたくなるような、こたえられない気分というものがあったけど、最近はもう分化してしまってね。
----ということは、小沢さんのこのアルバムは同時録音なんですか?
そうですよ!(笑い)。基本の部分は同時録音です。
----失礼しました!
だからね、録音を終えて2カ月も3カ月も経とうというのに、その集中した疲れがまだ残っている。それぐらい一所懸命にやったんです。
----小沢さんの歌い方にも関心させられました。沖縄芝居を長くやってきた地方(じかた)さんが言っていたことですが、役者の歌を歌手が聞くと、説明的でうっとうしい。反対に歌専門の人の歌は役者の耳からすれば、そっけない。このバランス、小沢さんは…。
おっしゃること、わかります。歌手の人は、自分のいい声を聞かせたいということが、根底にあります。反対に、声の大してよくないものは、違う部分でなんとか点数を稼ごうとするんでしょうね。
これは実は、芝居の台詞でも同じなんです。一言ひとこと、台詞を「立て」てやってた演技は重苦しくてしょうがない。だからどこを流して、どこで立てるかというのが、ぼくら俳優としての仕事でもあるんです。
だからそのことは知っているんで、あまり歌詞について感情移入をしないようにという反省を持って、ぼくは今回やりました。
----ちょっと語弊のある言い方かもしれませんが、ちょっとだけ聞くと素人っぽいんですよね。でも、それが小沢さんの凄い所で、CDを聞き進むにつれて、その歌い方に深い味があることがわかってくる。童謡のアルバムは、これまで無数に出ていますが、とにかく美しく可愛らしくとか、クラシック的に大げさにとか、ぼくにとっては白けるものが多い。小沢さんの歌は、ほんとうに上手いと思いました。
多少はね、そういうことは心がけてはみたつもりです。
実は自分では、失敗作だな、録り直したいと思う曲も入っているんです(笑い)。
そういう曲が隠れるような順番も、ぼくがどんどんお願いしてね、わからなくしてしまった(笑い)。
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----さて、小沢さんのお仕事の中でも重要なものの一つ、「日本の放浪芸」シリーズが、今年(2001年)も復刻されます。今回は韓国、インドまで放浪芸を訪ねて行ったビデオ『小沢昭一の「新日本の放浪芸」』とか、ライブ3枚組『小沢昭一が招いた「日本の放浪芸大会」』など、魅力的なものが発売されます(12月19日)。
私はね、日めくりカレンダーを毎日めくって捨てるように、自分の仕事をやり捨ててきたという実感があるんです。
だもんですから、この「日本の放浪芸」をやった時にはもの凄く熱中して、集中して、今やらなければと思ってやったんです。最初はLPでトータル、22枚ですか。そのあとにもありますけどね。
それで時代が代わりまして、昔それほどでもと思っていたものが、今だったらこっちのほうがいいというのも出てきまして、そういう風を感じるんです。だから今回のアンコールとなりました。
(写真は、99年に復刻された『ドキュメント「日本の放浪芸」』)
特にライブでやった『小沢昭一が招いた「日本の放浪芸大会」』とか。
----名盤です。
みなさん冥土へ行かれた方ばかりになりました。
ぼくらの先輩方です、明治生まれのね。
明治生まれと言ってもね、またその前の江戸時代の人たちもそうですが、誰しも働かなくては食っていけなかったことは確かなんですが、それぞれが色んな楽しみを持って生きていた。
ぼくのオヤジの世代までがそうでした。
私のオヤジは写真屋でしたけど、自分の商売への情熱は50%で、あとの50%で小鳥を飼ったり、麻雀したり川柳をつくったり、釣りへ出かけたりしていた。
それはぼくのオヤジだけじゃないんですよ。たとえば群馬県でね、ある土蔵の中から自分たちの先々代が楽しんでいた俳句集とか、たくさん出てきた。みんなノンプロですよ。みんな農夫であり商人です。それをね、全部集めて『ノンプロのお楽しみ』という本にしたんですよ。
それを見てぼくはビックリしたんです。
昭和になってからじゃないですか、頑張れガンバレばっかりになったのは。
まして戦後、高度成長に向かって、ね。小さな家に閉じ込められて。
そういう昔の時代の芸人たちは、今の芸人たちとは違う。
一口で言うと、楽しみながらやっている。
「放浪芸」なんて言うと、まなじりを結して北風に向かっていく、みたいなイメージがあるでしょ。「ごぜ」さんの写真にあるように。
雪の降る中、あぜ道をトボトボと、手引きに引かれながら4人がつながって歩いて行く。
しかし、辛いつらい、なんて思っていると冗談じゃない。
私もずいぶん仲良くなって一緒に歩いたりしましたけど、みんな今夜、温泉に行くのが楽しみなんです。そのために、上手いことコースが考えてある。
万歳の連中もね、今夜はどこそこへ行って楽しむということを、ちゃんと考えている。
そういうことを知ると、昔の人たちは実に心が豊だったんだなと。
高度成長期から没落をたどる日本を見るにつけ、そしみじみとそう思います。
ぼく自身も働け働けで来たから、やっぱり若い人たちに伝えたい。
そうじゃないんだと。
もう一度、考えてみようじゃないか。
ぼくはそう思っているんですね。
(終わり)
( 2001/09/21 )
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