藤田正です。
私の「
竹田の子守唄」の講演記事が地元の新聞に載っていたことを、花房和夫さん(浩一さんの弟)からのメールで初めて知りました。
そしてそれが、
中川敬さんのメールに変化し、中川さんはそこで自分たち
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットが録音した竹田の元歌2曲の報告へとつなげました。
実はこの録音、私の講演会では終盤に何度となくかけていて、そのたびに「これはどこで買えるのか?」と、会場のお母さんやオヤジさんたちから質問を受けてきた歌なのです。今回の鳥取県での講演でも、「なんで売ってないの?」と、私は呼び止められ、二人の女性から「(笑って)怒られました」。
早く、モノノケ・サミットには、こういう素晴らしい歌を世の中に知らしめてほしいものです。
彼らソウル・フラワー・ユニオン一派のいい所は、一つの歌の背後に、人と人とのつながりなり、共感なりが感じられることです。「
竹田の子守唄」の元歌2曲にしても、これは地元の被差別部落では秘蔵の、宝物のようなカセット・テープが「オリジナル」です。モノノケ・サミットは、地元の人たちから、わざわざそのテープを借り受け、そして自分たちの録音につなげました。単に、偶然に出会ったいい歌だからやってみた、ということではありません。竹田のおかあさんたちが、「あの何とかいう、あのバンドの歌、良かったわ」と今でも言うのは、人と人とをつなぐサムシング・エルスが彼らの歌にあるからなのだろうと思います。
余談ですが、月刊プレイボーイ9月号で「ボブ・ディランとプロテスト・ソング」という大きな特集をやっていました。興味のあるテーマだったので買ったわけですが、今の日本の現実なり、世界の苦悩なりに、ほとんどリンクしない企画編集には、何か見えない意図でもあるのか?とすら思いました。「ボブ・ディラン自伝」のプロモーションであり、ディラン世代の男たちに向けた、お懐かしの企画なのだから、というような醒めた言い方が出来るのかも知れませんが、ディランに象徴される一連のプロテスト・ソング(〜メッセージ・ソング)というのは、もう少し意味のある存在だったのじゃないか?と、まずは思ったしだいです。
それゆえに、本文で細かく紹介されるディランの人物像を伝える文章や、関連する歌のリストを眺めていると、歌は、(私があの時代に信じたように)本当に力を持っているのか? 持って来たのか? 今やもう、ポップ・ミュージックの中において死滅しつつあるのじゃないか? とディランから今を考えた時に…そう、思ったわけです。
では、尻切れトンボですが、失礼します。
(ひさかたぶりの、
元ちとせを聴きながら)。
(藤田正)
*この文章は、2004年8月6日、「
非戦音楽人会議」のメイリング・リストのために書いたものです。(写真はディランの『追憶のハイウェイ61』)
*この文章を書いたあと、
中川敬さんから、こういった特集においてはさらに、ディランがキリスト教原理主義者だった頃のことについてはほとんど触れられることがない、という指摘をもらいました。
「死んだ女の子」(siteSakamoto.com)
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