文・藤田正
「
マンボラマTokyo」によるラテン・シリーズ(@ユニバーサル・ミュージック)の中でも異彩を放っているのが、我らがサルサの名ベーシスト、アンディ・ゴンサーレスが選曲した『
モア・ザン・マンボ』だ。
Beats21では、この素晴らしい内容を持つ2枚組の全曲解説を試みる。
というのも、同CDにはアンディと、彼の先輩にあたるマニー・オケンド(ティンバーレス)による素晴らしい対談が載ってはいるのだが、一つ残念なのはニューヨーク・ラテンを知り抜いた二人ならではの「言葉のはしょり」が多すぎて、これからラテン(マンボやサルサ)を聴こうかと思っている日本の人たちには、もう少し平易な解説が必要じゃないか? と思ったからである。これは同CDの訳文を担当させてもらった私の率直な意見。
Beats21では、ゴンサーレス&オケンドとは異なる観点で、『
モア・ザン・マンボ』を紹介する。CDの中に収められた二人の対談と併せながら、読んでいただけたらと思います。
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[ディスク1]
1)マシュ・ケ・ナダ/
パタート・バルデス・アンド・トティーコ・アランゴ:
パタートは、
ティト・プエンテなどとも長くプレイした名コンガ・プレイヤーですね。その
パタートと、トティーコ(ボーカル)のアルバムからの1曲。選曲のアンディも言ってるけど、キューバのルンバをやらせたら、濃ゆーい味を出すのが、このトティーコだった。ルンバはブラック・コミュニティ・カルチャーの典型のようなダンス・ミュージックだから、名義が
パタート&トティーコではあっても、スピーカーから流れてくる声はトティーコばっかりじゃない。むしろこの「マシュ・ケ・ナダ」ではトティーコはサブって感じで、リードvoは、あの渋くてちょっと哀しげな名歌手、ビルヒリオ・マルティが担当してます。ビルヒリオの声と
パタートのコンガにまとわりつくようにして、色んな声がどんどんかぶさってくる。名前を覚え切れないだろうけど、ストリート系の凄いおやっさんたちが結集してやってるんだよね。アレンジがレネー・エルナンデス(
マチート楽団)というのも驚いた。たった2分半で、あっという間にfade outするなんて、もったいない!
余談だが、ビルヒリオがむっちゃいい味出してるサルサ・フィルム『クロスオーバー・ドリームス』(ルベン・ブラデス主演・86年作品)も、DVDで発売される(2006/07/29発売)。
2)バルバラ・バティビリ/
「マシュ・ケ…」で幕が開いて、いよいよ舞台はストリートから華やかなNYのボールルームヘ。となれば、何を置いても
マチート&his Orq.ってこと。「バルバラ・バティビリ」は
マチート式マンボの典型中の典型で、ルイス・ミランダ(コンガ)のステディなビート、ウバ・ニエト(ティンバーレス)の切れ、一糸乱れぬホーン・セクションの鋭さ、
マチート親分のアタリが柔らかでどこかニコニコしているようなボーカル……それらが一体となってヒタヒタと押し寄せてくる気持ちの良さったらない。
3)ピカディージョ/
マチートから、60年代のサルサ・エラへ突入! クールなバイブラフォンの
カル・ジェイダーと、サルサの改革者、パルミェーリの共演盤からの1曲だ。
「ピカディージョ」は、ご存じ
ティト・プエンテの名作の一つなんだけど、先輩の名演どおりにコピーしようなんてエディはさらさら思っておらず、反対に、こいつをどこまでアブストラクトに解釈してやろうかというのが、パルミェーリの魂胆だったようにぼくの耳に響くのだ。バックは歴史的なパルミェーリ・オーケストラ。で、共演のカルも含めて、彼らはみんな示し合わせたかのようにクールな基本ビートを刻んでるだけで、一つパルミェーリの右手だけが「オレは狂うぞ〜!」って宣言しているようなソロを取る。一聴、両者(一つは左手)は噛み合ってないのか? と思わせるけど、何度か耳にしているうちに、左手の「マッドになりたい宣言」に、その他のすべてが「あんたはんなら、でけんこと、あらへんで。きばりやっしゃー」と温かく見守っていることがわかってくる。(ある意味、人間関係が見えて、面白いかも)。
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Legendary Sessions 1947-1953 |
アンディとマニーの対談で「マンテーカ」には「ヤク」の意味もあると知って、驚いた。なぜならこの曲は、ディジ・ガレスピーと
チャノ・ポソ(この曲でボンゴを担当しているチノ・ポソとは別人)の共作になっているけど、土台は100%チャノであって、アフロ系キューバ音楽のダイナミックな生命力、そしてそこからブワーって生まれ出るロマンチックな愛の瞬間みたいなエクスタシー(…こういうことって、踊らないとわからないと思うけど…)を、ものの見事に1曲に集約してるんだよね「マンテーカ」って。
チャノはニューヨークへやってきてあっという間に殺されて、翌日から伝説になっちゃった人だった。でも、この「マンテーカ」を聴くだけで、大変な才能だったってことが充分にわかるよね。そして、この「大変な才能」ってことになると、だいたいぼくら評論家はすぐに「偉い、偉い」ってご当人をヒナ壇に乗せてお祈りしたくなるんだけど、チャノの友人だった歌手のミゲリート・バルデスが(追悼の心を込めて)書いた詞って、ヤクほしー! だもんねー。どーするよ? これってシリアス・ジョークってやつなのかな。
歌ってるミゲリートだけど、彼はベニー・モレーらと並んでダイナミックな歌唱が身上だった。演奏は
チコ・オファリルのオーケストラ。チコさんは、そうです、かの「アフロ・キューバン・ジャズ組曲」の人。コンガも名人によるダブルで、豪華な録音に仕上がってます。
5)トゥンバ・エル・キント/
ドラマチックな
マチート楽団の演奏だ。スピード感にあふれてて、でも内実は余裕しゃくしゃくってところにこのバンドの凄味を感じる。日本語訳には紙面の関係でカットせざるを得なかったのだが、このオーケストラの練習は相当なものだったらしく、音楽監督だったマリオ・バウサー(トランペット)は、ライブが跳ねた午前3時にリハの召集をかけてたこともあったそう。いつ寝かせてもらえるんだ?
もう一人の楽団のカナメ、レネー・エルナンデス(ピアノ)は、ライブの休憩時間ともなれば、いつもニューヨークで一番ホットな場所に出かけて、どんな音が流行っているのかチェックしていたそうだから、ヤワな根性じゃこのビジネスでトップは張れないってことでしょうね。
6)ポンセ/ノロ・モラーレス・アンド・ヒズ・オーケストラ
巨漢のピアニスト、ノロ・モラーレスもマンボ期のニューヨーク・ラテンに欠かすことのできないビッグなオーケストラを率いてました。
マチートと違うのは、彼はプエルトリコ系だということ。
ティト・プエンテ、ティト・ロドリーゲスの系列ですね。面白いことにソニーからこの7月(2006年)に、コンプリート(コロンビア原盤)が出というんでびっくりしたところです。ウィリー・ナガサキと電話していたら、「ちょっと遅かったかもしれない」なんて残念がってたけど、確かに日本で紹介するのにはずいぶん時間がかかってしまったのかも。
アンディとマニーによる英文解説によれば、モラーレス楽団は、ストーク・クラブやエンバシー・クラブ、エル・モロッコといった高級クラブに出演していて、そういう点でちょっとクラスが違うバンドだった。アンディは「ソサエティ・バンド」という言葉を使ってるけど…これはジャズ用語だよね…ある地域の限られた所でこの楽団はやっていたということを彼は言いたかったんだと思う。モラーレスのツルンとして滑らかなピアノ・タッチは彼だけの逸品だし(パルミェーリ兄弟などとは正反対)、その折り目正しいスイング感というのは、やっぱり彼が出演していたハイクラスな場所と無縁じゃないはずだ。だからぼくのような長屋育ちの兄ちゃんには、長く聞いていると、ちょっとナーと思う瞬間がたまにあるんだけど、この1949年の「ポンセ」ほか『
モア・ザン・マンボ』に選ばれた曲は、見事! エル・ヒターノ氏のグイ乗りベースも、股間を大bombしてくれます。
ボビー・ロドリーゲスのベース、
パタートのコンガ、ホセ・マングァル(ティンバーレス)…の名人が土台なんだから、悪いわけない。そして若き日のチック・コリアがピアノ・ソロを取っているんだけど、時は66年でありましてキーワードは改革よ、各メンバーが自分のプレイを互いに「ぶつけ合う」というあの時代ならではのイメージに曲が仕上がっている。特にチックのピアノ・ソロが。そしてこの若いチックに、
パタートが小粋なアクセントを贈り続けているってのが、ほんとこのコンガ奏者を抱きしめたくなる。
パタートって、マジに小さな人で、こんな人があんなダイナミックで豊かな音を出せるんだと、日本に来た時に目の前で彼が叩くのを何べんも見たし、彼のコンガを持ってあげてボウヤの真似事もしもしたけど、まるで信じられなかった。
8)ビベ・コモ・ヨ/
マチート・アンド・ヒズ・オーケストラ
マチート楽団の歌姫、グラシエーラ、登場! 闊達なボーカルのセリア・クルースと違って、グラシエーラは声質がキュートで色気は30%増量よ。
で、どちらも大歌手なんだけど、彼女たちが世に出た時代のことを考えなくちゃいけない。かつて女性がポップ・ミュージックを歌うとなれば、ちょっとした度胸が必要だった。グラシエーラは1940年あたりから兄弟の
マチートと組み出して、後に同楽団の音楽監督となるマリオ・バウサーと結ばれる。そういったファミリーの強い結束があったからまだ守られて良かったのもしれないが、それでも彼女の最大のヒット「シ・シ、ノ・ノ」は、アノ時の歌でしょ。ラテン・アメリカでこの歌は凄まじく広まったらしいけど、そりゃそうで、あんな時代に女の人が「イエース、そうそう、いやーん」なんてやるんだもの、いくらジョークだの何だのと解説したとしても、「グラシエーラ=淫らな女」という方程式は男の脳裏に焼きついてしまうわけ。
で、この「私のように生きたら」も、淫ら系、でしてね、ボヘミアンになりたいんならさ、私みたいに飲み屋のハシゴ、呑んで呑んで! なんていうすっげー「浮かれ節」。不謹慎&糖尿病には気をつけようソング。
マチート楽団が素晴らしいダンス・バンドなのは誰もが認めてるわけだけど、その人気の相当な部分は、グラシエーラに負っていたと思います。
(写真は、左から
マチート、グラシエーラ、バウサー)
9)グアヒーラ・エン・アスル/
ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」ならぬ「青のグアヒーラ」。アンディが指摘しているように、掛け声一つで、音楽の風景がガラリと変る。歌舞伎なんかと似てるのかもしれないね。曲を静かにゆっくりと盛り上げて、ここぞってところで、ティンバーレスを叩いているマニー・オケンドが、後方から…この遠くからってのがツボ!…気合を付ける。何でもないようではありますが……。
パタート&トティーコのセッションから再び。
カチャーオ(ベース)と
アルセニオ・ロドリゲス(トレス・ギター)が加わって、ニューヨークのブラック・キューバンを支えた巨匠たちによる演奏だ。
(写真は、
パタート=左と、トティーコ)
ラティーノが一人もいないバンドによるラテン・ダンスの秀作。コンガはビル・フィッチという人物で、この録音(63年)からしばらくしてシーンから消えていったそう。アンディも語っているが、フィッチのソロには
モンゴ・サンタマリアや、
タタ・ギネスといった歴史的なキューバ黒人の影響がある。そしてそんなフィッチのプレイを、アンディも、そして彼の兄である
ジェリー・ゴンサーレス(二人とも白い肌のプエルトリコ系)も熱心に耳を傾けていた、という素直な言葉が、ちょっと感動的。
60年代は人種的な意識がすごく強く出た時代だったから、いわゆるアメリカ黒人のミュージシャンだったら、こういう発言はなかなかしない(できない)と思う。
ラテン系という、真っ白い肌も黒い肌も混在しているコミュニティならではの、率直な語り口と言えるんじゃないでしょうか(もちろんラティーノの間にも「白黒」の差別は存在するけどね)。
(写真は、
カチャーオ=左、一人置いてギネス)
12)ドンキー・セレナーデ/
マチート・アンド・ヒズ・オーケストラ
アンディ・ゴンサーレスが、こういった曲はノーマン・グランツ(高名なジャズ・プロデューサー&レーベル・オウナー)の意を汲んで録音したウンヌンと語っているのが面白い。
マチート楽団の演奏技術の高さを納得するに足る作品だけど、アレンジに装飾が多いというか、メロディに甘味が強いというのか、
マチートって普段こういうのやらないんだよねー、という解説者2人の意見にナルホドーの曲です。別の言い方すると、ぼくには踊りにくい。肉体的に感じる音楽じゃなくて、往年のハリウッド映画の豪華な群舞シーン用にぴったりって感じ。座って、見る、マンボでしょうか。
13)アリニャナーラ/ナーグェ/ミゲリート・バルデス
ミゲリートの豪快な歌。2曲組み合わせています。ラストの「ラリラリホ〜!」といった、ダイナミックな歌い方でモロにわかるけど、彼のボーカルって、エリントン楽団などと同じく<コットン・クラブの時代>に大変な人気を誇った
キャブ・キャロウェイの歌唱法の影響下にある(キャロウェイ氏って、その後、映画『ブルース・ブラザーズ』にとてもリスペクトな扱いで登場してますから、ぜひ映像で観てください)。
キャロウェイ関連で続けると、全盛のキャロウェイ楽団に(1939年)参加していたトランペッター&ディレクターが、マリオ・バウサー。バウサーって、もちろん
マチート楽団の音楽監督となる人だ(私、この人とNYのクラブで会ったことがあります…ちょっと誇らしい)。
そしてバウサーって、ディジ・ガレスピーのベストな友人でもあって、彼らのすぐ隣りにいたのが
チコ・オファリル。オファリルはこのトラック13で指揮棒を振ってる。その指揮棒を見ながらピアノを弾いているのが、若き日のソニー・ブラーボで、ソニーって70年代にサルサのベスト・バンドの一つ、ティピカ73(セテンタ・イ・トレス)の代表取締役親分になる人なんだ(彼Sonnyの60年代の珍盤が日本のSONYからリリースされたけど=写真上、これも良かったら聞いてみてください)。
なぜこういったことを書いたかと言えば、ニューヨークのハーレムを中心にして、太平洋戦争を間にはさんで戦前・戦後と、アメリカン・ブラックとキューバンがどれほど交流を持っていたかの一端を知ってほしいのだし、そしてそれが「雪降る大都会に息づく南洋音楽」という新文化を生んだのだ、ということをちょっとだけでもいいから分かってほしいんですね。
14)110丁目&5番街/
ノロ・モラーレス・アンド・ヒズ・オーケストラ
モラーレス楽団の、スパイス効きまくりの名演。出だしの、股間をごっくんつかんでしまうベースをぜひともループしながらお楽しみください。エル・ヒターノのベース、エッチや。
トラック13のバルデスが67年、この「ダビート」が61年。聞き比べると、この軽妙な
カル・ジェイダーのスモール・コンボのほうが時代の新風を感じる。
(上の写真は、左が
エディ・パルミェーリ、右がカル)。
16)デザート・ダンス/
ディスク1のラストは再び
マチート楽団(49年)。もちろん悪いわけがないけど、時代もスタイルについても曲の並べ方がぼくとは考え方が違う。ばらばらのように思えて、これが『
モア・ザン・マンボ』のマイナス・ポイントと言えるかも知れませんね。
[ディスク2]
1)タンボー/ゲリート・バルデス
バルデスの声は、迫力あるねー。最初に彼を聞いた時は、そのバリバリ・ボイスがかえって古臭く感じたものだった(同じアフロ・キューバンの大物、ベニー・モレーの時はそうは感じなかったけど)…今は、違います。ルンバ〜ワワンコーとは舞台芸能として、このように歌いなさいという、見本のような歌。完璧。
これはブラジルのバイヨンだろう。60年代はブラジルのボサノバが欧米でも流行ったけど、きっとこのインストもその流れを汲んでいるはず。フルートとバイブによる涼しげなアレンジだ。
3)イングラート・コラソーン/
前半がトティーコ、後半がクルバがリードを担当するストリートの匂いむんむんのセッション。こういう多数の打楽器が絡み合う激しい演奏は、ぼくもふくめてついつい「ワイルド」「荒々しい」という言葉を使ってしまうが、実はここで歌い演奏している人たちってアルセニオ・ロドリーゲス(写真)ほか超一流のプレイヤーばかりなんだよね。ちゃーんと聞くと、とても洗練されたものになっている。
女性のハミングとカルのバイブとの音色の合わせ方が洒落てます。アレンジはこの時代からアレンジャーとしてたくさんの仕事をこなしてきたクレオ・フィッシャー。彼は小野リサなんかも手がけてる。
5)バヤ!ニーニャ!(ゴー!ベイビー!)/
マチート楽団&
チコ・オファリルによる素晴らしいマンボのインスト。スピーディで軽妙なタッチで始まる曲なのだが、少しずつ気迫がこもってくるのが凄い。後半のエルナンデスの短いピアノ・ソロあたりの感じと、冒頭の感じとを聞き比べると別の曲みたい。
のちにジャズの世界でスター・プレイヤーとなるチック・コリアの作品。フルート、バイブ、コンガ…といった組み合わせが、ここでもいい味を出している。
7)ジョーラ・ティンベーロ(マランガ)/
マランガとはキューバに実在した人物。アルセニオ・ロドリーゲスの名作として知られる1曲。
カル・ジェイダーの代表的作品の一つ。パウネット(ポーネット / Bobby Vince Paunetto )はカルの親しい友人で、同じバイブ奏者です。ニューヨーク・ラテンの牙城、ブロンクスの中のイタリア人地区に生まれた人で、同じブロンクス育ちのアンディが言うように、カルがニューヨークに来た時はパウネットのバイブを借りてたそう。
彼は小さな頃から音楽が大好きだったそうで、十代からラテンやジャズに傾倒して、64年にはラテンの老舗、シーコからもアルバム契約のオファーが来たんだけど、その時は録音の途中で徴兵の憂き目に遭った。不運は続いて、その後、多発性硬化症を患ってしまうんだけど、こういったトラブルさえなければなー、という才能の持ち主だった。
75年に
グラミー賞にノミネートされた『Paunetto's Point/BOBBY VINCE PAUNETTO & THE CTM BAND』(Pathfinder / RSVP Jazzでリイシュー)が代表作のようだけど、ぼくは聴いていない。彼の経歴は、
http://www.berklee.edu/bt/163/overcoming.html に。
「パウネットーズ・ポイント」は61年の録音だから、パウネットが
カル・ジェイダーやミルト・ジャクソンに影響されてバイブを手にした頃、カルが書いたということになる。
チコの指揮による
マチート楽団の演奏。キューバに生まれた音楽が、ニューヨークで目覚しく研ぎ澄まされたことがわかるマンボ〜ラテン・ジャズの秀作。
10)イスラ・ベルデ/ノロ・モラーレス・アンド・ヒズ・オーケストラ
哀愁のプエルトリコ。プエルトリコ人であることにこだわりつづけたノロ親分のロマンチックなインスト。メロディの流れが、まさにこの島のもの。「ラメント・ボリンカーノ」ほか島の名曲と共通するテイストが。哀愁、という意味で、サルサの原点ですね。
11)マンボ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ/
マチートが歌う「マンボここにあり!」宣言。余裕ある歌と演奏だ。ナマリの強い英語で、キューバからやってきたマンボ、プエルトリコ(人)に届いて、アメリカはいまスイングしてる! って歌っている。何気ない歌詞のようだけど「スパニッシュ・ハーレム、その歴史の一証言」と言ってもいいかも。
12)リトゥモ・ウニ/
カルとエディの共演を、もう一つ。この曲の解説で、アンディが尊敬するマニー・オケンドに向かって特許でも取っておけばよかったのに…、なんて言っているのは、この曲のリズムのこと。キューバの「モサンビーケ」という、革命後、ペジョ・エル・アフロカーンが開発したリズムなんだけど、これはキューバでは多数のパーカッション群の絡みで作り出すものだった。
しかしこのモサンビーケを、ティンバーレスを中心とした少数のリズム・セクションのために作り直しパターンを構築した人こそ、ニューヨークのプエルトリコ人、マニー・オケンドだった。
なにしろモサンビーケはキューバ革命後の新アフロ・リズムの中でも最も重要なリズムの一つだし、マニーが在籍したパルミェーリ楽団のような、アフロ・ルーツからフリー・ジャズまでをカバーしようとする革命的バンドにとっては欠かすことのできない「根本的なリズム」だった。
この栄誉を、
エディ・パルミェーリばっかりに持って行かれて…ねぇ、ということをアンディは言っているわけです。ちなみに、アンディもパルミェーリ楽団に在籍した辣腕ベーシストであり、兄貴のジェリーもパルミェーリ楽団の卒業生でした。
13)南京豆売り/ノロ・モラーレス・アンド・ヒズ・オーケストラ
ラテンといえば、ずっと昔のジャパンではこの歌とか、「ベサメ・ムーチョ」とかだったなー。プレゴンって言って、路上で物を売る時の「〜いらんかね〜」のいい調子を歌にして、キューバから世界に広まった。ここで演奏しているのはプエルトリコ系のノロ・モラーレス楽団だけど、聞いていて思うのは、リズムの突っ込み方、食い込み方が、キューバ系の
マチート楽団なんかとまったく違う。特に、ベース、ドラムス、コンガなどが。
これって、在プエルトリコの、かの
コルティーホ・イ・ス・コンボ(
コルティーホと彼のコンボ)と同じ感覚なんだよね。文化というか血の流れっていうのは、こういうところにも出るんでしょうか。で、さらに、この感覚の上からトローンとしたハチミツみたいなsomethin' elseをぶっかけると、ハイチの古いバンドと似てくるんだよねー。
歌っているペジン・ロドリーゲスは、ずっとずっと後のサルサの時代にも、ずいぶんいい歌を聞かせてくれたよね。思い出すと…もう、たまらなくなる。
14)アロジャンド/
マチート・アンド・ヒズ・オーケストラ
ダンス・バンドとしての
マチート楽団を。曲名は「腰を揺らして!」って感じでしょう。50年当時の
マチートとしては平均的なレベル。このCDで、初めて世に出た録音。
ラテン・ニューヨーク! ジュールス・ダッシン監督の『裸の町』(1948年)のテーマ・ソング。この映画はニューヨークでロケされたドキュメンタリー・タッチの作品で、アカデミー賞撮影賞を受賞。そのテーマを、
カル・ジェイダーがロマンチックにプレイする。
エレクトリック・ギターが入ったボボのスモール・コンボ。65年、彼にいよいよ注目が集まってきた頃の作品で、
ウィリー・ボボのティンバーレス、トランペットのソロなど、どれこれもスカッとキレが良く、2枚組のフィナーレにふさわしいトラックです。
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『モア ・ ザン ・ マンボ』
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DVD『クロスオーバー・ドリームス』
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『Legendary Sessions 1947-1953 / Chano Pozo』
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『マンボ・ウィズ・モラーレス〜ザ・コンプリート・コロムビア・マスターズ』(2006年7月19日発売)
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『Rumba Buhaina - the Music of Art Blakey and the Jazz Messengers / Jerry Gonzalez & Fort Apache Band』
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『ニューヨーク・ラテン・シーン/ソニー・ブラーボ』
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『ビバ・アルセニオ!/アルセニオ ・ ロドリゲス』
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DVD『裸の町』