ニューヨーク・ラテンの筆頭として長く活躍したパーカッショニスト、
ティト・プエンテ。サルサという言葉がまだジャンルとして確立する前の1950年代から、彼は頂点に立つバンド・マスターだった。
ティト・プエンテの、その若き日の名作4枚が、この夏に発売された。『ダンス・マニア』『キューバン・カーニヴァル』『トップ・パーカッション 』『タンボー』…どれも日本初CD化だが、アナログ・ディスクの時代から長く愛され続けたアルバムだ(紙ジャケ使用)。
『ダンス・マニア』(BVCJ-37436) は1958年に発表された作品で、プエンテ・オーケストラの典型パターンともいうべきダンス・チューンが並んでいる。
ボーカルはこの時代から長年の相棒となったサントス・コローン。彼は一見したところ、女性的でその線の細い声質が何か頼りなさそうな印象を与えるが、しだいにこれこそが白人系プエルトリカンの味わいであることが身に染みてくる。
ニューヨークという北の大都市で発展したラテン〜アフロ・ダンスの特色は、キューバやプエルトリコの出身も肌の色も異なるミュージシャンたちが有機的につながったところにある。サントス・コローン、そして同じく白い肌をしたプエルトリコ人であるプエンテがアフロ・キューバンをプレイする。そう、アフロ・キューバン〜マンボを演奏し歌うといっても、それは都市の洗練と混血性の味なしにはありえない…そのセンスが凝縮されているのが傑作『ダンス・マニア』であり、その後に生まれた息子&娘であるサルサなのだった。
1曲目の「エル・カユーコ」から、「コンプリカシオーン」「3-Dマンボ」「ジェゴ・ミハン」…と流れて行くそのサウンドのふくよかなこと。別テイクが3トラック付け加えられているのも嬉しい。でも、あのサンティートスもティトも、もはやこの世にいない。ファンにはお馴染みの「アグア・リンピア・トード」で、仲良く歌う二人。その声はプエルトリコ人ならではの哀愁と儚さを、たっぷりと滲ませて終わるのだった。
『キューバン・カーニヴァル』(BVCJ-37437) は、『ダンス・マニア』よりも1年の早い1956年に発表されたアルバム。これも名作として名高い。
モンゴ・サンタマリア、パタート・バルデス、ジョン・ロドリーゲスらのコンガ、ウィリー・ボボのボンゴ、ティンバーレス、ベースにボビー・ロドリーゲス、サックスにジョー・マデーラ…と、名だたる名手をずらりとそろえ、プエンテの統率下、一糸乱れぬ見事な演奏が繰り広げられる。今回のプエンテ・リイシューの解説を担当した
ウィリー・ナガサキによれば、これらは簡単な打ち合わせだけのノー・アレンジだそうだが、確かに先日来日した
ジェリー・ゴンサーレスを見ても、この手のハイ・レベルのミュージシャンは我々の想像をはるかに超えた技量を持ち、日ごろの練習を怠らないこそなのだろう(プエンテも生前、私の音楽人生で休みは一日たりともない、と言っていた)。
「クワル・エス・ラ・イデア」「パラ・ロス・ルンベーロス」「ケ・セラ」「オジェ・ミ・ワワンコー」「ジャンベッケ」「キューバン・ファンタジー」など、このアルバムもプエンテの代表的な曲がびっしり。
なお、プエンテにとっての最後の愛弟子である
ウィリー・ナガサキによる渾身のライナー(計4枚分)は、まさに必読もの。この人も、日夜勉強を怠らぬラテン野郎なのだった。
(藤田正)
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