ファニア・レコードの経営トップであり、ミュージシャンとしても同社の総監督だったジョニー・パチェーコの2枚組ベスト盤が出た。
パチェーコはドミニカ共和国(
メレンゲの島)の出身だが(1935年〜)、キューバ音楽に造詣が深く、60年代初めの
パチャンガのブームの時期から人気ミュージシャンとして活躍していた。今回のベスト盤は、そのバンマスとしてのスタート地点から、80年代までの二十数年の録音をまとめている。
チャランガ、つまりリズム・セクションに複数のバイオリンとキューバン・フルートが入った編成の時代が、リーダー/フルート奏者としてのパチェーコの始まりだった。キューバのオルケスタ・アラゴーンらの影響下にあった時代から、彼は
ファニアの創立期にソノーラ編成(管がトランペット、そしてリズム隊)に切り替え、ニューヨークという北の大都会で(南洋の)正調アフロ・キューバンを踏襲する男としての名声を確立する。
これがサルサという、ルネッサンスの土台となったことは言うまでもない。
無駄のないキリリと洗練されたリズム。モンギート・エル・ウニコ、ピート・エル・コンデ・ロドリーゲス、セリア・クルースといった素晴らしいシンガーたちを自在に歌わせるリーダーとしての能力。
そして、その音楽はすべて、徹底して「ダンス・ミュージック」であった。
さらりと耳に聞こえて、カップルの踊りを高揚させるため「だけ」にある音楽。それがパチェーコ・ミュージックの真髄であり、それは(今となっては)あまり知られていない古いディスク1の録音に、よく表わされている。
ディスク2は「ワワンコー・パル・ケ・サベ」というサルサの気品を象徴する名録音ほか、むしょうに楽しい歌が目白押し。
オリジナルのライナーにこんな逸話が載っていた。
ファニア・オールスターズを引きつれて、初めて訪れたアフリカでのこと、「ザイールでは、僕がフルートを吹いている彫像が立てられていて泣いたよ」…あの伝説のツアーに、こんなことがあったとは知らなかった。
カルロス菅野の談話にも教えられることが多い。
(文・藤田正)
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『ジョニー・パチェーコ/ア・マン・アンド・ヒズ・ミュージック エル・マエストロ』(2枚組)