「ジョージ28歳、ディラン30歳、クラプトン26歳…。」
チラシの書き出しにはこうある。みんな、そんなに若かった。
一九七一年の八月一日、ニューヨークでロック史上初めてという大きなチャリティ・コンサートが行なわれた。
「バングラデシュのためのコンサート」という題名で、主宰が
ジョージ・ハリソン。これに賛同し舞台に上ったのが
ボブ・ディラン、
エリック・クラプトン、レオン・ラッセル、リンゴ・スターというスターたちである。当時は、解散したばかりのビートルズからジョージとリンゴの二人が顔を見せたということもあって、ずいぶん注目されたイベントだった。
そしてぼくは、久しぶりにこの時のライブ『バングラデシュ・コンサート』(二枚組)を聞いたのだが、その重厚な響きに、かつてのロック少年時代を思い出してしまった…と同時に、この人たちってずいぶん老成した歌をうたっていたのだと不思議な気分になった。
このアルバムが再発売された昨年、すなわち〇五年は、G8サミットに合せて世界的規模でコンサートが開かれたり、日本でも若者を中心にホワイト・バンドを腕にするのが流行になった年だった。
ニューオーリンズのハリケーン救援、阪神淡路大震災十周年のライブもあった。
「音楽、スポーツ、ファッションの連動」が、社会的な問題に若者の目を向けさせる。
ジョージ・ハリスンによるバングラデシュ難民救援コンサートは、こういったイベントの最初の一つと言われてきた。
救援を呼びかけなくてはならないほど、窮地に立つ人々が世界にはたくさんいる。まずはそれに気づくこと。個人的なことになるが、このLPボックス(当時)を、なけなしのお金で買い求めて初めて、ぼくは「バングラデシュ」の名の下に独立戦争が行なわれ、ために膨大な数の難民が発生していることを知った(この戦争を経て、バングラデシュは七一年一二月、パキスタンから独立する)。オリジナル・アルバムのジャケットに写っていた、やせ細った子どもの姿が忘れられない。
そして、ロック・ミュージシャンにとっても…特にジョージほかスーパー・スターと呼ばれた人たちにとっては、こういうイベントはかけがえのないものだったのかも知れない。
七〇年代初頭とは、ロックが世界の若者文化を引っぱる巨大な音楽産業としてほぼ確立した時期だった。ビートルズの四人や
エリック・クラプトンといった人たちは、そのど真ん中にいて、たくさんの富と賞賛を得ていたのだが、「果たして、こんなんでいいのか?」…とふと足を止めた時に、そこに難民の顔、世界の実像があった。
ボブ・ディランの渋みあるボーカル、いったい何歳なのか分からないようなダミ声でうなるレオン・ラッセル、そしてラビ・シャンカールのシタールの高い技巧…そのどれもが味わい深い。だが、若くはない。ジョージの歌には、(いい意味で)「シワと年輪の集積」を感じさせる。
ロックが、俺たちの若さって何なんだ? と考えた時、このアルバムが出来上がったのかも知れない。
(藤田正、月刊『部落解放』2006年2月号)
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