「来るわけがないアーティスト」
ジョー・バターンもこんな噂がつきまとうミュージシャンだった。それはウソなのだが、しかし、このウワサによって多くの人たちが彼の来日を諦めていたことは事実だろう。
ミュージック・キャンプという音楽フリーク…情けないことにこういう人が業界に激減している!…がやっているレーベルがあって、そのMC社がついにバターンを口説き落とした。はたして2010年6月5日、ぼくらは1回だけの、初来日のステージを迎えた。場所は浅草、アサヒ・アートスクエアである。
バターンはニューヨークの、ラテン系コミュニティの出身だが、フィリピン人の血が入っていることもあって、「キューバ系、プエルトリコ系、ドミニカ系」という分け方の出来ない人である。
サルサの主流からすればはぐれ者なのだが、バターンの才覚は、言ってみればその「中途半端な立場」をフルに活かしてどこにでも自分の立ち位置を見つけようとしたことにある。ドゥワップ〜ソウルや、アフロ・キューバンをベースにして彼は60年代ブーガルー時代の人気者の一人となったわけだが、そのあともディスコ・ミュージック(彼は「
サルソウル」の提言者)に活路を見出し、さらには最初のラップだと言われる「RAP-O CLAP-O」も生み出した。受けてこそナンボ、時流に乗ってこそメシが食える…この芸人であれば誰でも理解している鉄則をむき出しにしながら今まで彼はプロとしてやってきた。
ロウ・ライダーにもファンの多い
ジョー・バターンだけに、会場は西海岸のチカーノ・ミュージック愛好者とおぼしき人たちほか、
サルサ・ファンに限らない人たちを見かけることができた。アルコールとダンスでせいぜい盛り上がろうゼ!という会場を満たす雰囲気の中、大歓声に迎えられた
ジョー・バターンは、ハンチングから靴にいたるまで真紅の装いで、さぁ若い君たちを乗せてあげるからね〜と余裕たっぷり。「Latin Strut」「Good Ole Days」と、彼独自のラテン&ソウルなステージを繰り広げたのだった。
バックは
ウィリー・ナガサキ(コンガ)ほか日本人が主体(8名)で、ニューヨークからはバターン(vo,kbd)、イボンヌ・ニトジャーノ(vo)、ピーター・キンテーロ・ジュニア(ティンバーレス)の3名。総計11人編成である。
ところどころリハーサルと食い違いがあったようだが、そんなのはおかまいなし。なによりバターン・サウンドは、いささかヤバい空気をはらみつつの「てやんでぇ精神」が反映されてこそなのであるから、これでいい。チンピラな、イナセ。この美しくもストリートな味わいを70歳手前のバターンが日本へ届けてくれたのだ。
「サブウェイ・ジョー」「プエルトリコ・メ・ジャーマ」「チカーナ・レイディ」、そしてアンコールの「ジプシー・ウーマン」ほか、後半へ行くに従い、会場は一つに。
苦労して招聘した主催者に感謝したい。この元気だったら来年も来れるんじゃない?
(文・藤田正)
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