<世間では、「旧同和地区」などという言葉が使われ、まるで部落問題が無くなったかのように、いっさいの取組を無くしてしまおうという動きが強まっています>
これは、二月一三日、十五回目を迎えた「ふしみ人権の集い」の壇上から、部落解放同盟
改進支部女性部が訴えかけた言葉である。
「
竹田の子守唄」を文化的な機軸として、部落ほかの人権問題に取り組む「ふしみ」については、本誌でも何度も紹介してきた。
改進支部の女性部が地元の「
竹田の子守唄」を初めて披露したのが二〇〇一年(第六回)のこと。今年はそこから数えて十回目であり、ゲストに大阪から親しい太鼓集団「怒」(いかり)を迎えての記念イベントとなった。だが冒頭にあるように、女性部からのメッセージからまず伝わってくることは、とりまく風の冷たさと社会的な締め付けであった。
メッセージにはこういう言葉もあった。<差別を受けてきた人間がこうして、心で歌っている唄やから、多くの人たちが、同じ思いで聴いてくれているのかなと思うと、みんなで一緒に歌ってきたこの唄(
竹田の子守唄)は、私らにとって宝だと思います>
故郷の歌が、精神的な支柱となっている。それは素晴らしいことだが、同時に、部落差別が未だ終焉を迎えていないことの証明でもあろう。だからこそ十回目の舞台で歌われた「
竹田の子守唄」は、熱かった。十年前から繰り返し聴いている女性部の合唱だが、年を追うごとに解釈に深みを増し、子守唄の奥底に隠されている差別の根をえぐりすような舞台だった。
今回で三回目の来演となる「怒」のステージも、なかなかのものだった。今年は一一人の編成で(内、女性二人)、雅楽などでいう「序破急」、すなわち太鼓アンサンブルの構成もユニークであり、韓国(チャング)や沖縄(三線)の要素も取り入れて、さすが皮と太鼓のマチ、浪速で結成されたグループらしい音楽性だった。
改進支部女性部との太鼓の共演も面白かったが、メンバーによる合唱「太鼓の故郷」が彼らの立場を如実に物語って感動的だった。聞こえてくる歌詞が…太鼓の作り手は、光も当たらず、それでも我らの文化を守る…今も皮と木に向かい、命を吹き込む…今や我らが誇れし浪速の文化…である。
あのドラマチックに躍動する和太鼓の製作者たちが、歴史的にいかなる差別と向き合い闘ってきたかを、これほどまでに表現するチームも珍しい。
メンバーには十代もたくさんいて、こんなに複雑極まる舞台構成をよくぞ覚えられるものだと感心したが、聞けば、かの橋本府政によって、肝心カナメの練習場が来年から閉鎖に追い込まれるのだそう。「怒」にも、「竹田」の女性部と同じように冷たい風が吹いているのだった。
重ねて言おう。その「風」を認識するからこそ、舞台は熱く燃えるのである。ちなみに、びっしりと観客で埋まった約三時間の集いが終わりロビーに出てきたぼくに、見知らぬ老夫婦が語りかけてきた。奥さんがいわく、「こんな素晴らしいイベントは初めてです。どうしてこんなことが無料でできるんですか? 信じられません」
きっと、語りかけるのは誰でもよかったのだろう。だがこの感動を、早く伝えたい。体調がずいぶん悪いとお見受けした旦那さんは、ただ涙を流すだけだった。訊ねれば老夫婦は地元の伏見どころか、京都の方でもなかった。
ウワサがウワサを呼んで十年の節目。
差別は無くなっていないが、「ふしみ人権の集い」の「想い」は、確実に広がっている。そんな二月一三日だった。
(文・藤田正)
*初出:月刊『部落解放』2010年4月号