この文章は、2007年1月24日にV2・コロムビアから発売される『シエンブラ』by
ウィリー・コローン&
ルベーン・ブラデスのライナー(『シエンブラ』…その歴史的なイノベーション)、そのパート2です。
パート2がパート1に先がけて公表されるというも奇妙なことだし(だいたいライナーにパート2があること自体、ちょっと変…)、ま、これは『シエンブラ』をぜひ聞いてもらいたいという願いを込めての宣伝用の文章だと思っていただいてかまわない。
もちろん
サルサの名作の一つ『シエンブラ』は、今では輸入盤で購入可能です。でも今回のV2からのリイシューでは、
サルサを世界に知らしめたファニア・レコードを紹介するパンフも付け加えられ、ルベーンのアルバムには欠かすことのできない歌詞対訳も載っているから、改めて
サルサへ愛を注ぐために発売を待っていてもらえたらと思う。一応、非公式ではありますが、我が「マンボラマTokyo」の私、藤田と岡本郁生のクレイジー・Twoも相談役のような形で関わっているので、きっと奇妙な変化球もあなたの股間あたりに飛んでくやも知れません。
…ということでシエンブラ!
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ライナーノーツのパート1が、中米ニカラグアの政変うんぬんで終わったので、現時点のニカラグアから話を切り出そう。『週刊金曜日』のニュース欄には以下のような記事が載っている(2006年11月17日号)。
「五日実施の中米ニカラグア大統領選挙は、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)書記長で一九八〇年代に革命政権を率いたダニエル・オルテガ元大統領当選という劇的な結果となった。来年一月一〇日、一七年ぶりに返り咲き、二〇一二年までの五年間、ニカラグア人の八割を苦しめている貧困の軽減に取り組む。この勝利で、ラテンアメリカの左翼人民主義路線は息を吹き返した。(後略)」(文・伊高浩明)
そう、トラック1「プラスティコ」の続報、と言えばいいのか。あの歌の、ラストのラストでルベーンが叫んだ「ソモサ大統領(当時)のいないニカラグア!(Nicaragua sin Somoza!)」からニカラグアがどのように変わったのか…。
『シエンブラ』は、ラテン・アメリカ人の生活と心にはびこる物質主義に警鐘を鳴らす「プラスティコ」からスタートする。
この歌は、いかにも安物ディスコというチョッパー・ベースのイントロから始まり、急転直下ワワンコー(キューバの黒人リズム)、そしてボンバ(プエルトリコの黒人リズム)へと曲の景色が急変する。
ウィリー・コローンお得意の激しいリズムの切り替えによって、ルベーンによるスペイン語の歌がいったい何を語っているのか、たとえまるでわからないとしても、ただならぬ切迫感が伝わる素晴らしい歌でありレコーディングだ。
ぶんぶんうなるチョッパーは、USAの物質主義・帝国主義を暗示しているわけだけど、この地点からの(精神的)脱出の旅をルベーン&ウィリーは「プラスティコ」、そして『シエンブラ』全体で促しているのである。ここでいう「USA」とは、もちろん米国のことだが、少なくともラテン・アメリカのことを書くばあい、USAに対して「アメリカ」と使わないようにしたいのだ。これは作家ガルシア・マルケスがノーベル賞を受賞した時に彼から教わったことなのだが、確かに私たちの心は、アメリカ=USA、で染まっている(そこからの脱出、でもあるのね)。
安物ディスコ、すなわちプラスチック、すなわちUSA。この言葉「プラスチック」は、のちにルベーンが俳優として活躍するきっかけにもなった主演映画『
クロスオーバー・ドリーム』においては、家具屋のオヤジがラテン系の貧しそうなオカンに向かって「プラスチックはフォーエバー!」と安物の商品を売りつけるシーンにも登場する。
一つのイメージが、交差する激しいアフロ・リズムの中で、より大きなメッセージへと変わってゆく。「プラスティコ」は、最後にはラテン・アメリカ人としての尊厳を失うことなかれと訴えるのだった。それを妨げるのが自己の心の中にある差別意識であり、政治であり…だから友よ聞いているか! と、ラストでラテン・アメリカの国々、地域が呼び上げられる。
そして「ニカラグア…」はフェイド・アウト寸前に登場するのだが、78年の発売当時、ラテン系シンガーの中で筆頭に注目されていた
ルベーン・ブラデスの口から、つまるところ「打倒ソモサ政権」というメッセージが発せられたというのは、あの広大な地域(そしてUSA国内でも)ずいぶんと意見が闘わされたようだ。日本にいる私が「へぇー」と思ったくらいだから、ラテン・アメリカの人たちであればもっとビビッド&シリアスな反応であっただろう。当然、彼は、ソモサ政権をバックアップしていたUSAの基本路線を支持する人たちからは「反米主義者」とみなされるようになる。
そしてもう一度の「へぇー」が、翌79年に起こる。ソモサ政権が実際に倒されたのだ(FSLNによる、いわゆる「サンディニスタ革命」)。ルベーンはプロ歌手としてニューヨークで大成する前に、すでにパナマで弁護士の資格を得ており、後年には母国パナマの大統領選に出馬するような人物だから、自国のすぐ近く(北からニカラグア-コスタリカ-パナマと地続きの関係)で起こっている緊迫した事態に大変な関心を寄せていたことは間違いない。
それが「プラスティコ」に出た。そして「プラスティコ」は、今に生きてもいる。
ちなみに日本国外務省のホームページにはニカラグアの政治的な歴史が以下のように書いてある。
「(1)1936年にアナスタシオ・ソモサ・ガルシアが大統領に選出されて以来、1979年までの43年間ソモサ一族が独裁政治を続けたが、1970年代末になると、ソモサ独裁に反対する中道・左派が幅広く結集し、1979年7月、武力によりソモサ独裁政権を倒し革命政権を樹立した(サンディニスタ革命)。
(2)その後、革命政権は急速に左傾化し、国内の政治闘争が深刻化した。同時に、1981年に米国でレーガン政権が発足し、反革命武装勢力『コントラ』への支援と対ニカラグア経済制裁が行われた。内戦が激化するとともに、ハイパーインフレ等により経済活動は滞り、ニカラグア社会は極度に混乱・疲弊した。
(3)10年の内戦を経て、国連等による国際監視の下、1990年、大統領選挙が実施され、国民野党連合(UNO)で親米保守派のチャモロ候補が勝利した。(後略)」
そして2007年1月、左派FSLNのオルテガは再び(複雑な経緯を経て)ニカラグア大統領に就任する。ちなみに06年12月4日の段階では、反米の急進的シンボル、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の3選が確実との報道がなされているが、同国とキューバをリーダーとして多くのラテン・アメリカ諸国が、さらにUSAからの自立への道を模索することになるのだろう。
ただ、チャベスの暗殺がいつ起きても不思議ではない、というのも「アメリカの裏庭」と卑下され続けてきたカリブ海諸国を含むラテン・アメリカの「常態」である。米国の現大統領(ブッシュ)は何かにつけてテロの脅威を世界に訴え続けているが、歴史的にラテン・アメリカにおいてテロの親分はまずは「USA」だった。私は何も米国政府がチャベスに刺客を送り込むなんてことはさらさら言っていないが、ラテン・アメリカ人の「生死の問題」にUSAは確実に存在し、あるいは勝手に入り込んでくるのだ。だからこそ勇気あるラテン詩人、
ルベーン・ブラデスはその友、
ウィリー・コローンと共に…有名になったからこそ、きちんと自分の立場をはっきりさせよう…というアルバムを作ったのだろう。それがモンスター・ヒット『シエンブラ』を皮切りとする、大作『マエストラ・ビーダ』ほかの作品群だった。
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Ruben Blades, Ministro de Turismo visitpanama.com |
ルベーン・ブラデスは1993年に「パパ・エゴロ」党を設立し、94年には大統領選に打って出ている。現在は、パナマ共和国の観光大臣の要職にある。歌手であり詩人である
ルベーン・ブラデスが、(ハリウッドの俳優としても活躍し)母国の政治家としても活躍しているというのは、レーガン米大統領らの前例があるとはいえ、なかなかにユニークな存在だと言えるだろう。そしてパナマ共和国は、ご存知のようにUSAによって建設されたパナマ運河があり(1914年に完成)、沖縄のように、米軍支配と共に歩んできた歴史を持つ。1989年、パナマに米軍が侵攻したのもまだ記憶に新しく、そして1999年、USAからパナマ運河は返還、米軍も完全撤退することに……そうパナマも常にUSAなのだ。パナマ出身の詩人はだから、未来へのタネを植えるのだ(シエンブラ!)と訴える本アルバムは、彼にとっての、「原点」とも言うべき作品だったとも言えるだろう。
そして彼の傍には、
サルサの理念そのもののプエルトリコ人、
ウィリー・コローンがプロデューサーとしている。プエルトリコ島は、カリブ海のオキナワである。
「プラスティコ」、あるいは『シエンブラ』から、辺野古〜植民地としての沖縄問題へとイメージを膨らますことは何ら奇妙なことではないと私は思う。
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「プラスティコ」1曲でずいぶん書いてしまったけれども、『プラスティコ』はそれだけ語ることのできる作品なのだ(文字で解説できれば即、いいアルバムだ、ということでもないけどね)。
で一転、リラックスした「グァバ(ばんじろう)を探して」(トラック2)。これはキューバのソン・モントゥーノというリズムの典型なんだけど、何度聞いても、私にはキューバっぽく聞こえない。味わいがウィリー&ルベーンの場合、まるで違うんだよね。
まずルベーンのボーカル。この曲に限らないが、彼のボーカルは、鼻にかかった声質ではあるのだが、基本的にはクセがなくて加えて「〜的な」という土地の香りがしない。そういう意味で彼の声は、ディープ&濃い口好みの少数派(そう、私のことです)にとって時に物足りなく感じることもあるのだが、裏を返せば万人の耳に無理なく届く力を持ったシンガーでもあるということだ。
これってとっても重要なことで、ウィリー以下のミュージシャン&アレンジャーらはルベーンの特質をばっちりわかって編曲と演奏をしている。5トロンボーン&リズムのバンドは、キューバン・ブラック系のねっとり、腰・かっくん…といった盛り上げ方をしないで、あくまでスムーズで丸みを帯びた演奏を追求している。「ブスカンド・グァヤバ(グァバを探して)」は、そういう意味で、汎ラテン・アメリカ音楽としてアレンジし直されたキューバン・ブラック・ミュージックの雛形、とも言えるだろう。
日本でも健康食品やジュースで名前が知られているグァバは、たしか中米〜カリブが原産だったはずだから、歌詞を読むと、ナイスな女の子を探して、という風にも取れないこともないが、ダブル・ミーニングとして「ナチュラルなパワー」「ラテン・アメリカの原点を探して」という意味もあの美味しいグァバに潜ませているはずだ。
原点…という意味では、トラック4の「マリア・リオンサ」は注目だろう。このクンビアのリズム・アレンジも秀逸だけど、ここにはインディオ(私たちの遠い親戚です)の姿があり、ブラジルの奥地の匂いも感じられる。
ブラジルの奴隷制度と密接な関係にある弦楽器、ビリンバウも使われて…ニューヨークの下町の音楽、
サルサはその発生から10年ほどの短い時間で、ついに「ラテン・アメリカを発見した」のだとぼくはいつも感動してしまう歌なのだ。そしてベネズエラを発祥とするらしいマリア・リオンサ信仰って、キリスト教が支配的なラテン・アメリカにあって、自然信仰というか、「黒人+インディオ+白人」の三つの文化が混ざり合った土俗ぷんぷんのものなのね。いわゆるブードゥなどと同じく、邪教だと差別する人もいるし、「その他おおぜい」に分類されるものだけど、このマリア・リオンサに焦点を当て、「大衆の心」「自然と人間」を歌い上げたというのは、凄いとだと思う。
……と、長々と書いてきたが、まだ「ペドロ・ナバーハ」(トラック3)という、
サルサの歴史を変えた超&超ヒット・チューンにもたどり着いていない。
でも、ライナー2はここまで。だってこんな名盤、語りたいことばかりで、読むほうも書くほうも疲れちゃうからね。
例えばさ、ラストのテーマ曲「シエンブラ」の大ストリングス&リズム! ウィリー好みのあのサウンドだけど、これを聞けば、心はウィリーの『ソロ』『ファンタスマス』という大名作へ一気につながるのだった。ルベーンがラテン・アメリカの「きょうだい」に広く訴えたその隣で、ウィリーは、ニューヨークという愛すべき「ちっぽけな町」に生まれた個人としてのラティーノ(彼自身)を描き始める。
……だから『シエンブラ』、ぜひみなさんの耳で一度、お試しあれ。
(文・藤田正)
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