<1998年12月>
約一年間の産休から、
安室奈美恵(写真)が復帰してきた。年末、クリスマス直前に発売された「I HAVE NEVER SEEN」がその第一弾である。
みんなが期待の
安室奈美恵。おそらく一般の雑誌やテレビは、現場復帰を祝うムード一色なのだろうと思う。でもぼくはこの曲を聞いてア然としてしまった。「I HAVE NEVER SEEN」は、とんでもない失敗作である。
実は今月の本ページ、九八年の女性シンガーの活躍を書こうと考えていたのだった。そういう意味で、年末最大の話題であるアムロのシングルを取り上げるつもりだったのだが、正直なところぼくは頭を抱えている。プロの歌手として、こんな歌をみんなに売ってはいけません! 俺も、税込価格千二十円、損しちゃったじゃないの。
九八年の日本のポップスは、いわゆる「ビジュアル系」(お化粧した男バンド)が売れに売れまくった年とされている。確かにそれに間違いはない。だが、ぼくはそのほとんどに単なる流行り歌以上の魅力を感じることはない。例外は、事故死したとされるhideの作品だろうか。彼は、その晩年(つまり九七年から九八年にかけて)、ずいぶんと気骨ある曲を作り続けていたはずである。あとの連中は…という印象であった。
対する女たちは、これも数は大して多くはないのだが、
Chara や
UA、
Cocco など、個性の強さをはっきりと表わした人たちがいい作品を歌ってくれた。面白いのは、CharaやUAたちは子どもを産んで再び歌の現場へ帰ってきていることで、そのような活動は徐々に奇妙とは思われなくなってきている。また彼女たちは、子どもを産んだことで、音楽的にもはっきりと成長のあとが見えるのである。
ぼくが
安室奈美恵にも期待したのは、こういうことだった。なにしろ彼女は産休の時点まではポップス界で頂点にいた女性である。このアムロが「ミュージシャンとして」見事な復帰を遂げれば、これほど素晴らしいことはないと思っていた。
なにしろ現在は「モーニング娘。」に代表されるように、以前に増して若い娘っ子たちがメディアの中で安価に扱われる時代である。ちょろっと可愛い女の子でさえあれば、テレビ番組と連動させさえすれば、いきなりチャートの上位に入ってしまう。また有名になりたい女の子たちも、その道へ突き進むことが当たり前と思っている。こういうシステムは、三十年も前の、若い歌手たちがレコード会社にほとんどすべてを管理されていた時代よりもヒドいのである。
こういう状況に、
安室奈美恵のような大きな存在が小さくとも亀裂を入れてくれることを望んでいた私が馬鹿でした。「I HAVE NEVER SEEN」におけるアムロは、年末の復帰にスケジュール調整されただけの操り人形だった。小室哲哉の曲もだらしがないし、なにより
安室奈美恵の声が驚くほどに不安定なのだ。出だしの声のふらつきなどは、かなりの手直しが効く現在の録音技術にあって信じられないほどに最悪。
安室奈美恵は、実に哀しい再出発を果たした。
アムロと反対なのが 、十一月末に「数え足りない夜の足音」を出したUAである。この人も人気が出てきた時に子どもを産み家庭を持った。そして今、絶好調なのである。「数え足りない夜の足音」は、彼女自身のペンになる詞も、そのヴォーカルも抜群だ。彼女を聞いていると、かけがえのない存在であるはずの歌ですら、じっくりと温めさせてもらえない
安室奈美恵が可哀相になる。
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