沖縄特集II アルベルト城間(DIAMANTES)インタビュー
Beats21
 ディアマンテスは90年代の沖縄ポップ・ブームの最中(さなか)に登場した象徴的なバンドだった。
 沖縄の若い世代と、ペルーから里帰りした、これも若いウチナーンチュ3世の混成バンドである。彼らは溌剌としてダンサブルで、そのステージにはいつも笑顔が絶えない。「ポジティブ」「陽性」という沖縄ポップ・ブームの典型がディアマンテスだった。
 91年の結成だから彼らは2001年で10年目となる。ラテンと沖縄をつないだだけでなく、「ガンバッテヤンド」という在日外国人労働者の苦難をストレイトに描いた名作を持つバンドとして話題となったディアマンテスも、もはや沖縄のバンドの中堅となった。
 メンバーも8人から、オリジナル・メンバーの3人に。新作『LIBRE(自由)』(M&I〜ポニー・キャニオン)は6月20日のリリースである。
 これから新生ディアマンテスはどこへ向かうのか。ソロ・シンガーとしても多忙を極めるアルベルト城間(写真)に話を聞いた。
 取材、5月23日@渋谷・M&Iカンパニー。インタビュワー・藤田正(Beats21)。
Beats21
■あっという間の10年だった
----この10年で沖縄の音楽もずいぶん変わった。あれよあれよと言う間に、インディーズ系のバンドが花盛りとなったし、セールスとしても「1万枚を超えた」という宣伝文句も珍しくなくなった。ディアマンテスのデビューの頃とは、まるで違う。
 ほんとだよね。ぼくらと違うのは、大学生とかの若い人たちがバンドで食べようと思っていないとか普通に言ってる。そんなこと、ぼくらの前ではさすがに言えないだろうけど、それはそれで自分たちの生き方だもんね。
----モンゴル800(モンパチ)とかインディアン・ハイとか、たくさん人気バンドがある。
 売れてるんだよね。
----アルベルトは立場的に答える必要なないけど、ぼく(藤田)は単なるマネゴトのバンドも多いと思っている。
 音楽が好きな人にとっては、ある意味では理想的なのかも知れないよ。ぼくなどはこの仕事を真剣にやるために、自分にとって大切なものを捨てているから。彼らは恵まれているんだろうね。
----そういう環境からは「片手に三線を」や「ガンバッテヤンド」のような歌は、なかなか生まれない。
 歌を作った本人しとしては、わからない。ただね、ディアマンテスは10年やってるわけだけど、ぼくは「みなさん、ちょっと威張っていい?」という気持ちはあるんだ。
----デビュー盤のプロデュースをぼくがやって、その沖縄限定のインディーズ盤が爆発的に売れて、それでメジャーと契約したのが93年。あっという間の10年だった。
 そうだね。ディアマンテスは若手でありながらメジャー・デビューしたし、でもずっと沖縄をベースにするバンド。これにこだわってきたから。メンバーが8人もいたんだよ。
----飛行機代のことだけ考えても、普通じゃ考えられない。
 やっぱり知り合ったスタッフが良かったし、メジャーと契約して全国的に名前を知ってもらったことが大きい。メジャーが終わって5年になるけど、それでもやれてる。10年間の後半の5年は、ぼくだけの仕事が多かったことは確かだけど、ディアマンテスはそれでも存在感はあったと思うよ。ぼくが県内でやっていたミュージシャンの中で、唯一認めていたのはKiroro(キロロ)ぐらいです。この二人はいいものを持っているな〜と思ってた。
----そしたら大ヒットになってしまった。
 ぼくのホンネとしては、沖縄をベースにしてやって欲しかった。でも売れたんだから素晴らしいことです。
----流れが変わっていったものね。あと安室奈美恵などのアイドルたち。
 沖縄アクターズスクールの影響も大きいと思うよ。沖縄のみんなは、ぼくもできるのかなと自信が付いたんだよ。だから音楽を本気でやるのなら、今の若い人たちも、勇気を持って中央へ出ていこうと思ってほしいですよ。
----りんけんバンドのような島唄系のバンドもね。これに沖縄で初めてのラテン系バンド、ディアマンテスが加わって、90年代は相当に面白かった。
 ぼくらはラッキーだったと思います。最初のアルバムを出してくれたバッド・ニュースやM&Iカンパニーの人たちと付き合えたことが大きいです。どうでもいいような事務所に入ってしまったら、今ごろのぼくは何をやっていたか想像もつかない。最初からディアマンテスを「音楽をやるバンド」だと考えてくれた人たちがいてくれたことで、頑張って行けたんだと思う。みんなぼくらのコンセプトを大事にしてくれたもの。
----コンセプトって、どんなんだっけ?
 沖縄にいる素朴な人たち(笑い)。そうじゃなけければ、メンバーを半分にカットされて、東京暮らしをさせられて、メンバーは疲れ切って、3年間売れなかったらバイバイ。
----よくある芸能界の典型的なパターン。
 そうだよ。ぼくらのスタッフは沖縄も理解してくれて、さらにラテン・アメリカの音楽とも縁が深い人たちが揃っていてと、本当にいい出会いだった。ふり返って、今の沖縄の若い人たちに、そんな目で見てくれている人がいるだろうかと考えると、どうだろうね。
----出会いや運も、実力のうち。
 ぼくが知っているインディーズのアーティストにしても、レコード会社から声を掛けられている。沖縄には何かが生まれていることのは、みんな知ってしまったから、レコード会社の人も(無責任に)声を掛けるんだよね、とりあえず。だけどそれって、ミュージシャンを育てているように見えて、才能をストップさせられていることじゃないかと思う。
MYCD30053
■原点に戻ったアルバム『LIBRE』

----2000年にソロ・アルバム『LIGHT MY FIRE』(M&I〜ポニー・キャニオン、写真)を出した。ニューヨーク録音で、しかも本格的なサルサ・アルバムだった。
 一つには歌手、アルベルト城間の確認したかったということ。ぼく自身の可能性を確かめたかった。ぼくはサルサのミュージシャンじゃないけど、このアルバムはニューヨークでも認められたから良かったと思う。バンドの可能性にもつながるし、バンドの活動に弾みを付けるつもりもあった。
----バンドとして悩んでいた時期もあったし。
 だからぼく個人としても、ここまでやってきたその成果を歌手として証明したかった。その手応えを得て、改めてディアマンテス作ったのが今回の『LIBRE(自由)』(M&I〜ポニー・キャニオン)なんです。
----『LIBRE』は自分たちのホームであるコザ(沖縄市)の録音。トム仲宗根、ターボと3人によるトリオだから、バンドの原型に戻ったとも言える。
 そう。サポート・メンバーはいるんだけど、3人のエッセンスが詰まってますよ。
M&I Company
----アルバムは、いろんな意味で原点へ戻った。
 ぼくら3人で昔、四国のリゾートのプール・サイドで1ヶ月契約のライブをしたことがあるんだよ。初めてターボと一緒にやった時ね。それで沖縄へ帰ってきてディアマンテスを結成した。川崎で暮らしていたホルヘ(元ドラマー)に、沖縄に戻ってくるならコンガを買ってこいと連絡してディアマンテスが出来ていった。ボブ石原(元キーボード)とぼくの奥さんが加わって、コザのクラブ・パティでスタートしたのが1991年の9月20日。
----「トリオ・ディアマンテス」はその前だよね。
 それは、四国へ行く前にサン・マリーナ(沖縄のリゾート・ホテル)でやっていたバンド。トム仲宗根とぼくと、もう一人、プエルトリコの人でね。プエルトリコの人が四国へ行けなくなって、替わりにターボに来てもらった。だから今度のアルバムはディアマンテスになる前の、3人の出会いにまで戻ったと言えるのかもしれない。
----アルバムはすごくラテンぽい。ラテン・ロック色が濃い。
 3人になるとこれしかないから。(写真は、左からトム仲宗根、アルベルト、ターボ)
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■沖縄のラテン・バンドとして
----もともとがロックだもんね。
 ターボのエレキ・ギターにぼくのアコースティック・ギター、それにベースだから。今回のアルバムの音の基本にあるのは、3人の共通のテイストだね。
----デビュー盤『OKINAWA LATINA』の沖縄らしいサウンドを込めるというのは、それまでなかったんだよね。
 そうですね。でも沖縄らしいものって何だろうって、考えない? ぼくは未だにわからない。ぼくらは沖縄でラテンをやってるだけのバンドなのかもしれない、とも思ったりする。沖縄らしいフレーズを入れさえすれば「沖縄らしい」なんて言われるの、おかしいでしょ。「沖縄のラテン」というんだったら、ぼくらよりも照屋林助先生がまさに本物だよ。林助先生は、そういう意味でも先駆者。だからぼくらはラテン音楽をちゃんとやるべきだと思う。「沖縄でラテンをやっているバンド」としてね。
----後輩が出てくるかと思ったら、案外いない。サルサのコピー・バンドみたいのなら、いるけど。
 もっとカッコよくラテンをやらなくちゃね、ぼくらは。(写真は『LIBRE(自由)』)
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----小柳ゆきのヒット「あなたのキスを数えましょう」を書いた高柳恋(れん)が「BE MY SWEET」「MU-CHA-CHA-CHA」の詞を書いている。
 「MU-CHA-CHA-CHA」はシングル・カット曲ね(写真)。
----「BE MY SWEET」は「銃声をなくす呪文」という意味深な言葉が聞こえてくるけど。
 その本当の気持ちは高柳さんに聞かないとわからないと思うんだけど、ぼくは恋愛の歌だと思う。ただ彼もディアマンテスや沖縄のことを一所懸命に考えて詞を作ってくれているはずだから、ぼくはこの歌は日本と沖縄の「恋愛話」のようにも思えるんだ。沖縄と日本で一緒になれるはずなんだけど、なかなかそうならないカップル。そんな歌だと思うとしっくり行く。いつまで経っても、「あなたは昔、こんなことをした」「許せない」みたいな、そういうふうな解釈でもOKなんじゃないかな。「今、国境を越える」という言葉も出てくるでしょ。
----ほかにもタイトル・ソングの「LIBRE」とか「SI」、「PRESENT」とか、いい歌が多い。
 そうですね。ぼくらもこの10年でいろんなことがあったけど、これからですよ。沖縄の音楽も、これからまた新しいものが絶対に生まれてくる。その中にぼくらもいられるように頑張ります。(おわり)

( 2001/06/15 )

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