----デビュー盤のプロデュースをぼくがやって、その沖縄限定のインディーズ盤が爆発的に売れて、それでメジャーと契約したのが93年。あっという間の10年だった。
そうだね。ディアマンテスは若手でありながらメジャー・デビューしたし、でもずっと沖縄をベースにするバンド。これにこだわってきたから。メンバーが8人もいたんだよ。
----飛行機代のことだけ考えても、普通じゃ考えられない。
やっぱり知り合ったスタッフが良かったし、メジャーと契約して全国的に名前を知ってもらったことが大きい。メジャーが終わって5年になるけど、それでもやれてる。10年間の後半の5年は、ぼくだけの仕事が多かったことは確かだけど、ディアマンテスはそれでも存在感はあったと思うよ。ぼくが県内でやっていたミュージシャンの中で、唯一認めていたのは
Kiroro(キロロ)ぐらいです。この二人はいいものを持っているな〜と思ってた。
----そしたら大ヒットになってしまった。
ぼくのホンネとしては、沖縄をベースにしてやって欲しかった。でも売れたんだから素晴らしいことです。
----流れが変わっていったものね。あと
安室奈美恵などのアイドルたち。
沖縄アクターズスクールの影響も大きいと思うよ。沖縄のみんなは、ぼくもできるのかなと自信が付いたんだよ。だから音楽を本気でやるのなら、今の若い人たちも、勇気を持って中央へ出ていこうと思ってほしいですよ。