<1999年8月>
喜納昌吉が本土デビューして以来のことだから、沖縄音楽との付き合いも丸二十年の付き合いになった。友だちも増えたし、近ごろはそんな仲間や年長者たちと、沖縄のかつてと今とを比べてみるような話も少しはできるようになった。
そんな中、近ごろよく話題に上るのが、沖縄人(ウチナーンチュ)の気持ちの変化である。ウチナーンチュの、特に若者が積極的に自己主張をはじめ、それが目立って見えるようになってきた。この十年で沖縄の精神風土はずいぶん変わったような印象がある。
自分の言葉(現代のウチナー口)で話すことを恥ずかしがらなくなった。それどころか県内で大きな差がある各地域の言葉を、お笑いのネタに使い、お互いが笑いあう。方言すなわち悪であった「
方言札」の時代から考えれば天と地の差がある。今、沖縄で「酒」といえば泡盛である。一昔前であれば泡盛はウィスキーや日本酒よりもはるか格下と考えられていた。そんな泡盛が事実上、県民の酒となったのも遠い昔のことではない。そしてなにより、沖縄で暮らすのが一番と思う若者がとても増えた。これはKiroro(キロロ)の二人も、同じようなことを言っていた。
確かにものごとには裏側があって、ここに挙げた事象にも功罪あい半ばするのではあるが、間違いなく言えるのは、九十年代の声を聞くのと前後して沖縄の文化を誇りに思うと胸を張って言う人が、がぜん増大した(悪しき点を一つ挙げれば「長寿の国」と喧伝された頃から、そのイメージにはっきりとした陰りが見え始めたこと)。
「今と十年前とは隔世の観がある」と言うのは、ある旅行代理店の東京支店長である。沖縄出身者の彼も言っていたが、このように沖縄を積極的にさせた大きな要因が音楽だった。
安室奈美恵たち、そして
りんけんバンドら沖縄ポップの全国的な流行は強い牽引車となった。
今年の夏も、沖縄の誇りをテーマにする代表格、
りんけんバンドの新作が出た。タイトルは『謝』と書いて「にふぇー」と読ませる。「にふぇー」とは「二回、あなた様を拝む(深い感謝を捧げる)」という沖縄本島の言葉である(サンキューは「にふぇーでーびる」)。
『謝』は、数億円かけて造った彼らのスタジオ・ビルでの初録音である。沖縄市の小さなスタジオで作っていたサウンドも好きだが、さすがに今回は音の質が高い。沖縄の自然とまつりごと、そしてその下で暮らす庶民の心(感謝の念)を歌うというポリシーは以前と替わりない。
りんけんバンドは、現代社会の苦悩や矛盾を直接的に歌うことはしない。しかし、リーダーの照屋林賢の考えは、そんなこと以上に沖縄に生きることの素晴らしさを語る必要があるということである。だから彼のバンドは頑固一徹に、沖縄の美しさを歌ってきた。その姿勢は、上原知子の美声とぴたりと合い、結果としてウチナーンチュに誇りと勇気を与え続けている。
『謝』にある、今年九十歳を迎えたお婆さんの日常を追った「比嘉門(ひじゃじょう)ぬオバー」という曲にしても、ぼくはその御当人がライブハウスで若者を先導して踊る素敵な場面を目撃したこともあり、このバンドが軽々しい絵空事をテーマにしているのではないことを知っている。
だからこそ歌が、胸にずしりと迫るのであろう。
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